株式成功の基礎―10億円儲けた人たち
 知識は古くなるが、論理的思考力は古くならない by小枝
 前提とする知識は、日々更新しなければいけない部分がありますが、いつの世にも厳然として存在するセオリーがあります。

「それはもう古い」
 私たちが往々にして陥りがちな考え方です。
 確かに事実としての知識は日々更新されていますが、それを利用するための「筋道の通ったものの考え方」というのは、恐らく、古今東西変わりません。
 恐らく、そういう意味でのいわゆる「論理的思考」の能力というのは、どのジャンルにも通用する共通した能力であり、知識を蓄える前に培わなければいけないものだと思います。

 多くの場合、下の世代が、上の世代のことを「それはもう古い」という考える場合の本当の気持ちは、「知識が古い」ということを言いたい場合以外に、 実のところ、「その考え方は、間違っている」ということが言いたいのだと思います。
 
 では、本当に、年をとると、「考え方を間違える」ようになるのでしょうか?

最新人気blogランキング!

 私は実際のところ、一旦身につけた本質的な論理的思考力は、年齢が高くなっても変わらない普遍的な能力のはずだと思っています。その思考力の枠組みは、その前提となる新しい知識さえ最新のものに入れ替えれば、実のところ時代を超えて通用するものなのだと思います。
 

 何故人間の多くが、「古く」なってしまうかというと、
この本当の「論理的思考力」を身につけずに、自分の限られれた経験から身につけた「偶然の勝ちのパターン」に酔いしれてしまい、それ以外の「別の手」が思いつかなくなってしまうのです。

 つまり、自分の経験を生かして、それを後々まで通用する一般的なセオリーに置き換えて考える習慣なしに、単なる個別の「知識」として蓄えてしまうと、時代が変わったときにその知識が古くなってしまうのです。
これは私達の多くがはまり込むパターンです。
 成功や地位に慢心して、正しい手法を選択できなくなるという場合もあると思います。

 つまり、「古い考え方」の正体というのは、自分の経験という誤差が原因で、論理的に正しい思考が出来なくなってしまうことなのだと思います。
 「新しい考え方」は、経験が白紙の状態のため、論理的に正しい思考が出来ることに他なりません。
 つまり、「裸の王様」の論理です。

 上の世代の人を笑う人ほど、実はこれらパターンにはまり込みやすいのは不思議なことです。自分の成功の秘訣に無自覚のうちに慢心してしまうと、将来、自分自身も同じ罠に陥りやすいからなのです。
 
 本当の意味での「論理的思考力」を身に付けることは、知識を得ることよりずっと難しいと思います。
 どのジャンルでも、偉大な人物になれる人が少ないのは、これらの能力は、余程注意しないと身に付けることが難しいせいなのだと思います。
 私達の多くが、ある程度若い年齢までは、最新の知識を補充し続けることで、多少論理の組み立てがおかしくても時代のトレンドに乗るふりをするだけで生き延びていけます。
 でも、ある時、それだけではやっていけなくなる時が来るのだと思います。
 
 本来なら、「経験」は人間の最大の財産です。
 
 経験に論理的思考力が加われば、無敵なはずです。
 一生を通じて、成功を収めている人の生き様は、まさしくそれです。
 自分の経験を客観的な事実に置き換えながら、前に進んでいるのです。
 ところが、実際は、「経験」をプラスマイナスどちらに生かすかは、本当にその人次第なのです。経験が偏見や思い込みにつながらないようにするのは、とても難しいことなのです。
 

 結局、ことの真相は「論理的思考力」が本当に身についている人は、古くなりようがないけれど、ものごとを短絡的で表面的に考える癖がついてしまうと、「古くなる」という罠に陥ってしまうということなのだと思います。
 しかも、かなり若い年齢のうちに…。
 簡単にいうと、視点を変えることが出来なくなると考えてもいいと思います。これが「柔軟性の欠如」といわれるものの正体です。


 著者は大正15年生まれの株の相場師です。
 私はこの本を株の売買の本ではなく、どちらかというと、一種の人生哲学の本としてとても面白く読みました。

 一見この本は、ひたすらいわゆる
「塩漬け(値段の下がった株を持ち続けること)」を禁じ、
「損切り(値段が下がった株をあるところで見切りをつけて売買し利益を確定させること)」をひたすら推奨している本のように見えます。
 テクニック論に捉われるとそのことを書いた本にも思えますが、実のところは著者の言いたいことはそうした表面的な売買技術を超えた、物の考え方のセオリーなのではないかと思います。

 素人の私が、株の売買のテクニックに対してあれこれ論評することは僭越なので差し控えます。
 しかし、著者は、それらのテクニックよりも、むしろ、
「考え方の引き出しを多く持て」
「テクニックそのもの自体の是非はない。状況に応じて最も適切なテクニックを選ぶことが大切なのだ」
「その中で、苦しいときに、もっとも選択しにくい損切りという考え方を忘れないようにしろ」
というメッセージを私たちに伝えようとしているように私には思えます。
 株のテクニックはともかく、これらが正しいことは私にもすぐ分かります。
 何故なら、こういうものの捉え方は、何事にも当てはまる、普遍的なものの考え方だからです。

 「成功している相場師は静かだ」
 「自分が素人ばなれしたということは分かるが、他人にそれを説明することはできない。」
 「インチキ臭いことほど素人受けする」
 本書の中で著者はこういう意味合いのことを私たちに教えようとします。
 全く年齢も性別も業種も違う私ですが、私の経験からも、これらは事実に思えます。 

 著者は、私から見ると人生の大先輩です。
 世代だってかなり離れています。
 では、この著者は、今流行の年齢で切り捨てる考え方でいうと、大変失礼ですが、古いのでしょうか?私にはとてもそうは思えません。

 本を読むことの醍醐味の一つは、世代や年齢を超えて、自分と同じ考えの人に出会えることです。年齢や性別による人物評価は思い込みに過ぎないことが多いのです。
  
 私たちが「時代が変わった」「既成概念が変わった」と思う多くのことは、残念ながら実際には特別新しいことが起っていない場合が多いのです。前提となる知識と活用する道具は変わっっても、どのように筋道立てて物を考えるか?ということはあまり変わらないのです。
 自分の考えていたことなど、もっと前に誰かが思いついていたりやっているということが以外に多いのです。
 純粋な学問の世界ならともかく、目的が経済的・社会的成功をおさめることなら、先人の知恵に学んでそれを踏襲することが正しいのかもしれないのです。

 確かに、本当に新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければいけません。
 でも、大概、自分が「新しい」と思い込んでいるだけの、実のところは単なる古いぶどう酒に過ぎないものを新しい皮袋に入れてしまう。
 だから皮袋が破れてしまうのです。
 
 人間社会は世代が入れ替わっただけで、綿々と同じ営みが繰り返されているだけの部分も多いのです。年取ったライオンのボスが、新しいボスに変わっただけで、ライオンの群れの構造だけが変わらないようなものであることが殆どなのです。
 今をときめいている時には気付きにくい真実ですが、
 これが盛者必衰の法則の所以です。

 

 著者は株の世界では「損切り」以外に、「休み」を入れることがとても大切だと繰り返し説いています。そして、素人ほど「損切り」を長期保有と言い訳したがる、とも書いてあります。
 著者は、株の売買で状況に応じて用いられる多くのテクニックの中で、これらは心理的に一番抵抗感があるものだということを言いたいのだと私は理解しました。

 これは実生活でも、同じことがあてはまるのではないでしょうか。
 何事でも、「長期保有」はうまくいっている物事にだけ当てはまります。
「どんな作戦でも、どのような場合に当てはまるとは限らない」との著者の主張は、株の世界以外の全ての業種に当てはまる真理だと思います。

 人生は、順風満帆とはいきません。
 ある程度は我慢や地道な努力は必要ですが、どのように頑張っても、何年も努力しても、絶対にうまくいかないこと、受け入れてもらえないことは世の中にあります。
 私だって勿論、仕事上、そういう経験をしたことは何回もあります。

 終身雇用制が主体であった日本では、死んでも組織にしがみつかなければ人生の落伍者になりました。
 たとえ会社に居場所がなくなっても家族のために歯を食いしばって頑張るのが立派な男性の生き方とされてきました。そのために、多くの人が、うつ症状を起こしたり、そこまでいかなくとも、鬱屈した心理が、会社の中での弱いものいじめに向かうこともあります。
 勿論、女性でも、どうにもうまくいかない職場でもさっさとやめるというわけにはいかないのが普通です。自分の人生をかけてきたわけですし、経済的な事情だってあります。

 恋愛・結婚も同じです。
 特に女性では、うまくいかない恋愛、結婚を思い切ることが出来ないというのが典型例だと思います。
 当然ながら、恋愛・結婚には相手を思いやる心がとても大切で、そのためには時に努力が必要です。
 しかし、相手の暴力など、誰がどう考えても「不幸」である状態なほど、女性は中々こうした関係を断ち切ることが出来ません。相手との関係をより良いものにする努力をしないような人なら、逆にさっさと別れられるのでしょうが、普通の女性は、今の時代でも、恋愛・結婚を終わらせることに臆病です。
 こうした時の女性が考えるのは、何だか古臭いようですが「私の人生を返して!」ということなのです。今までのさんざん時間を使ったので、たとえどうしようもない彼(夫)でもあきらめがつかないのです。いつか、良い時が戻ってくると信じて…。

 人間は、現実がどんなに崩壊していても未練が残ることがあります。
 こうした時に「損切り」「休み」という考えを使うのはどうでしょうか?

 人間の心理のどこかには、お金に限らず、何らかの投資をしたことに関して
「その借りを取り戻したい。今までの時間(努力)を無駄にしたくない」という心理が働くのは当然です。
 しかし、自分が追い詰められるところまできた時は、思い切っていままでのそれらの時間を「損切り」して「休み」を入れてやることも大切なのではないでしょうか。
 その場合、決心するのは、早いほうがいいこともあると思います。

 勿論、何でも損切りすれば良いわけではなく、
まず、うまくいくように努力することは必要です。
「何をやっても長続きしない」
となると問題ですが、そういう人は、元々こんなことで悩みはしません。
 
 「損切り」をすることは、多くの人にとって心理的に敗者になることを意味する行為です。しなくて済めば、勿論いいに決まっていますが、それが絶対に必要なことも、時にはあるのかもしれません。


この書評が面白かった方はここをクリックして人気blogランキングへ投票よろしくおねがいいたします!


他のブログも見てみたい!