おかあさん疲れたよ田辺聖子著

生涯を通じた愛とは何かを考えさせる本
 大人の日常に埋め込まれた愛のさりげなさに感動できます
 
 
 女流作家が苦手な男性って案外多いようだ。
 「田辺聖子が面白い」と最初に紹介してくれたのは、ちょっとそういう本を読みそうにない人生の大先輩の男性の方だった。一般に男性は、特に理系の男性は、女流作家特有のよく言えば緻密な、悪く言えば冗長な記述を好まない。普段きわめて理論的で実際的なその紳士の方と女流作家とのミスマッチに魅かれて読んだのが、田辺聖子との出会いである。

 もともと、田辺聖子はハイミスの生態を描いてウケた作家の元祖とされている。それだけで、何か自分とは肌があわなそうで避けていた。最大の理由は、「特定の記号としての自分」を前面に押し出した文章が、その記号が何であれ、少し苦手だということ。それから、私自身理屈っぽいように見えて、言葉のみで頭でっかちになっている人間は男女を問わず苦手だし、逆に、「私の身体がそう叫んでいる!」などのどろどろした情念も、今ひとつ何かが違う感じがしてしまう。

 しかし、田辺聖子の作品は、からりと乾いていた。日常に根ざした作家である。紫式部タイプの文学ではなく、日常を鋭く切り取る清少納言タイプの作家なのだ。ご自身もそう思っているのか、清少納言を題材にした、
むかし・あけぼの―小説枕草子という小説も書いている。

 そう、私が田辺聖子に引かれた理由は、彼女が日常生活のディテールを大切にする作家であると言う点だ。彼女の小説に出てくる、卵料理を作るシーンやさりげない会話の数々。これは、村上春樹にも相通じる感性だ。私が好きな作家は、結局スローライフをベースにした作家なのだと思う。そういった感性を俗っぽい、安っぽいと感じる方も多いようだが、人間性を形作るのは、結局は日常の小さな出来事の積み重ねなのだ。

 この物語は、第二次世界大戦中に、少年と少女として出会った一組の男女の愛を主軸に、大きな時代の変化に決して流されず、淡々した日常を必死で生きる「大人」の姿が描かれている。

 日本の小説には、いつまでも大人になりきれない未熟性に起因する悩みを延々と描いたものが多い中、この小説の登場人物達は、社会の責任を負いながらも、それから逃れようともがいたりせず、あくまでもさらりと生きている。


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 本書のストーリーは、要旨のみを書くと、ありきたりな不倫小説のようである。
 私的には、普段なら、あまり興味のないテーマだ。
 主人公の男性は、年下のキャリアウーマンと幸せな家庭を築きながら、初恋の女性との愛も大切にして生きる中年のサラリーマンである。彼の中では、少年の頃から大切に育んでいる初恋と、現実の家庭と言うのは、完全に意識の上で切り離されており、全く別個の大切な存在である。

 相手の女性はといえば、可憐な美少女から、たくましい独身のキャリアウーマンに変貌し、自分の生活をきちんと育みながら、相手の生活には決して踏み込まずに一定の距離をおいて交際する。

 こう書くと、「割り切った大人の関係ね」と話をまとめたくなってしまうが、二人の関係は決してそういうものではない。

 良くある不倫小説のように、お互いを、満たされない鬱屈した日常のはけ口や気晴らしとして捉えているわけではない。二人の関係は、「恋愛」という形をとっているように見えて、戦中戦後の厳しい時代を生き抜く上での「同志愛」であり、だからこそ、相手が自分を必要としていない時には離れ、必要な時には近づくわけである。

 少年少女の時代の純粋性が貫かれており、大切な存在だからこそ、相手の生活環境を思いやって出会いと別れを繰り返すのが本書の主人公達である。結婚と言う愛の形しか認められないタイプの人でも、彼らの人間愛には理解を示すのではないかと思えるほど、彼ら二人は「大人」で、不倫小説なのに不思議に爽やかですらある。

 少なくとも、倫理的にわりにシビアな考え方をする私でもそう思えたので、その点は間違いないのではないかと思う。私が倫理的にシビアなのは他人の価値観の多様性を認めないということではなく、自分自身の生き方に深く根ざしたポリシーのためであるので、同じように一本筋の通った生き方であれば、どのように逸脱したものであれ認めたくなるのだ。

 その清涼感の理由は、こうした大人の関係がずるさではなく、互いへの思いやりをベースにして成り立っているからだと思われる。女性作家の作品のせいか、主人公の男性は、女性を性的な対象ではなく人間として扱う成熟した人物である。
 作品全体には、不倫と言うテーマに似合わない、そこはかとない上品さとほのぼのとしたムードが満ちている。

 主人公の二人は、世が世なら、普通に恋愛結婚して仲の良い夫婦になっていたのかもしれない。この主人公二人が結婚しなかったのは、時代の波に翻弄されたというのが大きな理由のひとつである。

 現代の女性には想像もつかないが、この時代は「男性一人に女性はトラック一杯」と言われた時代。頭でっかちに「結婚する方が損か得か」などと考えている余裕はなく、結婚したくても物理的に結婚できない女性があふれていた時代である。しかも、破壊された生活を立て直すという最重要課題、つまり「生きていく」ためには、精神性を大切にするだの何だのということは、全て犠牲にせざろう得なかった時代なのである。

 そうした時代の中で、精一杯地に足をつけて生きようとする人々にとって、「愛」というのは、ある意味「我儘」と同義語であった。その頃の価値観をふりかざす年配の方々の論理が現代では批判の矢面にさらされているが、この本を読めば、その価値観のよりどころが少しは理解出来るのではないだろうか。
 それらの人生の先輩の言いたいことは、実は古い価値観の押し付けだけではなく「まず大人になって、それから愛を貫け」ということなのかもしれないのだ。

 実のところは、現代のキャリア女性達は「仕事をする方がエライ」、結婚した女性は「経済的に無価値だ」という時代の価値観に翻弄され苦しんでいる。そのパラレルワールドとしての子供をもつ女性とそうでない女性の価値の論争もある。そうした中で「愛」が置き去りにされ無視されているているという点では、現代も戦中戦後も変わりはない。

 時代の波に流されずに、自分の生き方を貫くのに最も大切なのは、いつの時代も自分自身の知性、すなわち心の声を正直に聞く能力なのだ。


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