ダーウィン教壇に立つ―よみがえる大科学者たち
プレゼンテーションの最大のポイントは、ストーリー性の有無である。
事実だけをランダムに並べ立てても、相手の心を打つことは決して出来ない。
心を打つどころか、理解を誘うことすら出来はしないのだ。
こんな簡単なことでも、多くの人にとって、意外にそれが難しい。
(自己反省を含め)
「こんなすごい事実を話しているのだから、相手は興味をもってくれるに違いない。」
と一人合点してしまう。
そして、相手が聞いていようといまいと、微に入り細に入り、
「自分にとっては極めて興味深い」新事実や斬新なアイデアをまくしたてる。
その結果、
「それで、結局、○○とは何ですか?」
と、今さっきまで自分が話していたその○○が何であるか?という質問を受けて、がっくりと肩を落とす。
これが日常的に行なわれている現場とはどこだろう。
大変、言いにくいことだが、大学を始めとする、学校の授業・講義である。
(努力されている教官の皆様本当にごめんなさい。一般論です。)
本書の著者は、カリフォルニア大学バークレー校で、動物学の講義を担当していた教授である。1960年代の終わり、アメリカのでは古い大学のあり方、特に、「つまらない講義」に批判が集るようになり始めた。
著者の担当する「動物学」の講義も、学生の出席率・授業への関心度が日増しに低下するばかり。
著者を弁護すると、理系の学問というのは、文科系の学問と違い、ストーリー性を持たせにくい。とにかく、洪水のように基本的事実を並べ立て、土台となる知識をもたせることを授業の基本にせざろう得ない。
そのことに余程個人的興味を持っている学生でない限り、退屈してしまうのは避けきれない部分もある。
しかし、物事に甘えは禁物。どのようなことでも、工夫次第では面白く出来るのだ。
そこで、著者イートン教授は、奇襲作戦に出る。
「講義の際に、その事実を発見した大科学者の扮装をし、その科学者が学生に直接講義をするという形をとったらどうだろう?」
と思いつくのである。
例えば、進化論の講義をするときにはダーウィン、遺伝学の講義をする時にはメンデル、微生物学の講義をする時にはパスツールの扮装をして講義に登場する。
本書に、その扮装をしたそれぞれのイートン教授の写真があるが、本物と見まごう精巧さ。
何しろ、大学の演劇科の名誉教授に衣装を借り、専門のメーキャップ・アーティストにメークを施してもらい、かつら・付け髭ななども使用。大科学者本人の写真と並べても、区別がつかないほどだ。
その結果、イートン教授の講義は、学生に超人気でいつも超満員。
彼の講義は「ライフ」を初めとする、多くの一般紙にも当時とりあげられたということなのだ。
その講義が人気になったのは、その「仮装」の奇抜さだけが理由ではない。
イートン教授が、講義にストーリー性をもたせたからである。
最新人気blogランキング!
彼は、それぞれの科学者として教室に現れ、自分が、何故その研究をするに至ったかをまず説明する。
次にその研究の過程で、どのような問題点や失敗があったのか?その過程で感じた自分の葛藤は何か?最終的に、大発見のきっかけになった事柄は何か?などを文字通り「俳優」になりきって語ったのである。
つまり、毎回の講義を一つのノンフィクションとして、完結したストーリーをもつ物語にしてしまったのである。
例えば、表題にもなっているダーウィンであれば、白い長髪のかつらと付け髭、黒いローブ姿の老ダーウィンとして教室に登場する。そして、自分がビーグル号に乗り、進化の過程を追うことになったかという経緯をまず語る。
そして、ガラパゴス島にたどり着いたいきさつ、そこで気付いたこと…という風に話をどんどん展開していくのだ。
これは
イヴの七人の娘たちなどの科学ノンフィクションに多く用いられている、人の心を壮大なロマンの世界に誘う、とても効果的な方法だ。
本書は、イートン教授の実際の講義録である。
その持っていき方のうまさは本当にすばらしく、例え、特殊メークや衣装がなくても、この講義だったら学生の心を魅了するだろうな、と思える内容である。誠に脱帽。
人間が相手の心を捉えるのに必要なのは、相手の立場にたったプレゼンテーションである。
しかし、多くの業界は、そこに生きる人達のみでは当たり前の「常識」や「隠語」で成り立っている。
そこに長く生きれば生きるほど、外の世界の人々が、何を知っていいて何を知らないのかという基本的な事実を私達は見失ってしまいがちである。
相手が、その事柄に殆ど興味をもっていない場合は、まずその世界に引き込む必要がある。
逆に、相手が自分と共通言語をもっている人の場合は、まず第一に、ストレートに最も大切な結論を語る方が良いかもしれない。
だらだらと演繹法で物事の始まりから話り始めると、相手をいらつかせてしまう可能性がある。
いずれにしろ、最重要課題は、相手の目線でものを見るということだ。
誰かに何かを語りかける時は、「まず、どこから始めなくてはいけないか」に留意しなければならないのだ。
この時の扮装写真の見事さを見ると、「さすが映画やショウ・ビジネスの国アメリカ!」と思わされます。この書評が面白かった方はここをクリックして人気blogランキングへ投票よろしくおねがいいたします!
元祖ブログランキング ほかのブログも見てみたい!
次にその研究の過程で、どのような問題点や失敗があったのか?その過程で感じた自分の葛藤は何か?最終的に、大発見のきっかけになった事柄は何か?などを文字通り「俳優」になりきって語ったのである。
つまり、毎回の講義を一つのノンフィクションとして、完結したストーリーをもつ物語にしてしまったのである。
例えば、表題にもなっているダーウィンであれば、白い長髪のかつらと付け髭、黒いローブ姿の老ダーウィンとして教室に登場する。そして、自分がビーグル号に乗り、進化の過程を追うことになったかという経緯をまず語る。
そして、ガラパゴス島にたどり着いたいきさつ、そこで気付いたこと…という風に話をどんどん展開していくのだ。
これは
イヴの七人の娘たちなどの科学ノンフィクションに多く用いられている、人の心を壮大なロマンの世界に誘う、とても効果的な方法だ。
本書は、イートン教授の実際の講義録である。
その持っていき方のうまさは本当にすばらしく、例え、特殊メークや衣装がなくても、この講義だったら学生の心を魅了するだろうな、と思える内容である。誠に脱帽。
人間が相手の心を捉えるのに必要なのは、相手の立場にたったプレゼンテーションである。
しかし、多くの業界は、そこに生きる人達のみでは当たり前の「常識」や「隠語」で成り立っている。
そこに長く生きれば生きるほど、外の世界の人々が、何を知っていいて何を知らないのかという基本的な事実を私達は見失ってしまいがちである。
相手が、その事柄に殆ど興味をもっていない場合は、まずその世界に引き込む必要がある。
逆に、相手が自分と共通言語をもっている人の場合は、まず第一に、ストレートに最も大切な結論を語る方が良いかもしれない。
だらだらと演繹法で物事の始まりから話り始めると、相手をいらつかせてしまう可能性がある。
いずれにしろ、最重要課題は、相手の目線でものを見るということだ。
誰かに何かを語りかける時は、「まず、どこから始めなくてはいけないか」に留意しなければならないのだ。
この時の扮装写真の見事さを見ると、「さすが映画やショウ・ビジネスの国アメリカ!」と思わされます。この書評が面白かった方はここをクリックして人気blogランキングへ投票よろしくおねがいいたします!
元祖ブログランキング ほかのブログも見てみたい!
コメント