お母さん、ノーベル賞をもらう―科学を愛した14人の素敵な生き方

「個人を改良する以外に、より良い世界をつくる方法はない」 
マリー=キュリー・スクロドフスカ


 女性が働くということの本質は何だろう?
 
 それは、紆余曲折や仕事上のブランクを受け入れ、一筋縄ではいかない人生を受容するということである。
 それを補って余りあるほどの、興味あるミッションを自分の内側に見出すことが出来れば、仕事が続けられる。しかし、自分の人生をそこまで賭けられるモチベーションが見つからなければ、それは難しい。
 女性が職場に戻る別の理由は、自分以外の稼ぎ手がいない、もしくは不十分な状況で「どうしてもお金が必要なとき」のみである。

「それはおかしい」とお怒りの方も多いと思うが、私が言いたいのは物事の是非ではなく、現状把握としての事実の問題である。
 2100年の子孫には、「何と前近代的な」と笑われるかもしれないが、それは2005年時点での、この国での現実である。

 昨日紹介した大仏破壊 バーミアン遺跡はなぜ破壊されたか
にも描かれているが、各種報道で知られているように、タリバン政権下のアフガニスタンの女性達は、「七歳以上の男女が席を同じにしない」という政権の方針のもと、小学校教育を含む一切の教育を許されなかった。 
 世界の戦闘地域には、侵攻した兵士により、小学生以上の少女なら誰もが陵辱され子供を持つことを余儀なくされるという「現実」をもった世界がある。
 これらの現実は、今日の日本人であれば、どのような人であろうと、「許しがたいことだ」と強い憤りを感じる考え方であろう。
 しかし、彼らにとってはそれらは「女性に対する当然の扱い」であるから、私達がそれを批判することは「文化への攻撃」だと受け取られてしまうのだ。
 
 本書は、ノーベル賞受賞者9名を含む、ノーベル賞級の研究をした14人の女性の物語である。その中には、最も有名なノーベル賞受賞者マリー=キュリー・スクロドフスカ、以前私もブログで取り上げたトウモロコシの遺伝学で有名な動く遺伝子のバーバラ・マクリントックを始めとする世界的科学者が名を連ねる。

 1800年代後半から1900年代半ばまでに生まれた彼女たちの人生は、現代からは想像もつかない困難に満ちたものだった。
 まず、欧米の大学で、殆どの大学が女子に門戸を開いていないか、いても実際に入学することは殆ど許されなかった。
 第一、入学しようにも入学試験に合格するだけの高等教育を受けるための教育機関がなく、彼女達の殆どが、家庭教師を雇うなどの手段(すなわちある程度の裕福で教育に理解のある家庭の子女)で大学に進学している。

 彼女達の殆どが、学業や研究に、場合によっては何年ものブランクを余儀なくされている。
 現代の日本では、男女を問わず、22歳で大学を卒業し(医歯学部では24歳)、一度もレールからはみ出さずにひとつのことをやり続けるということがもっとも評価される。

 しかも、彼女達の学習・研究環境の多くは、「劣悪」といっても良いものであった。
 このような状況でも「世界的な研究が出来た」というのは、ある意味男女の有無を問わず、私達の人生の希望になるのではないだろうか。


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 本書を読み進むうちに、タイトルにある「素敵な生き方」というのは、ブラックジョークか反語的表現であると思われる方もいるかもしれない。
 
 マリー=キュリー・スクロドフスカは学校を主席で卒業したのにも関わらず、大学に入る前に裕福な家の家庭教師として6年間も過ごすことを余儀なくされた。

 物理学者のリーゼ・マイトナーは女性の研究者が彼女ひとりであったため、研究室のトイレを使用することを禁じられていた。

 ロザリンド・エルシー・フランクリンは、「二重らせん」につながる研究発表をした時に、「彼女の容姿を批判するのに熱心な」ワトソンに、散々馬鹿にされる。実際に残る、フランクリンの写真を見ると、彼女はかなりの美貌の持ち主である。
 ワトソンは「彼女の容姿が気になって、研究のことなんかなにも聞いていなかった」とうそぶくのである。しかし、その後にワトソンはクリックと共に彼女の研究データを極秘に入手し、それをもとにノーベル賞受賞のきっかけになる論文を書く。
 ワトソンは後に、このことを弁解して「彼女に誰も味方がいなかったのがいけないのだ」という意味のことを語ったそうだ。
 
 データを盗った盗られたの争いは科学研究の暗部として、古今東西存在する、もっともダーティな部分である。
 こうした研究における、熾烈な競争は男性同士の間でも当然存在するので、このことはフランクリンが「女性であった」ための悲劇とは言いがたい。
 しかし、フランクリン以外に何人もの女性科学者が、自分の発見した科学的事実に基づくノーベル賞の栄誉を男性の「共同研究者」に譲っている。

 しかし「捨てる神あれば拾う神あり」。
 彼女達の周囲には、そうした「世間の常識」には全くこだわらない、彼女たちを仲間として受け入れる男性たちも数多く登場する。

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 14人の女性科学者達の中で、最も興味深いのは、お洒落なイタリア女、神経成長因子の研究で1986年のノーベル生理学・医学賞を受賞したリタ・レヴィ=モンタルチニである。
 他の女性科学者が、どちらかというと求道者・人格者タイプの偉大な人物であるのに、彼女はそうしたタイプとは、一線を画した人物である。

 医大生時代の彼女の写真は、ファッション・モデル?と思うほどスタイリッシュで美人。
 第二次世界大戦の混乱で研究が中断しても、恋人と別れ、アメリカに渡る。
 かなりの気分屋で、気に入らないことがあると「金切り声をあげて怒鳴った」ような、ステレオタイプな「嫌なキャリアウーマン」的な行動を平気でとる。かなりたくましい人物である。
 近くにいたら、もしかしたら「ちょっと…」な人物かもしれない。この位の「自分流」な部分がないと、もしかしたら厳しいこの社会で生き延びていくのは難しいのかもしれないと思ってしまった私である。
 男性でも、「成功者」にはとかく「個性的」な人が多いのと同じことなのかもしれないのである。

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 兎にも角にも、彼女達の誰もが、自分の人生を「悲劇」などとは考えていなかったようだ。
 それでも、彼女たちが業績をあげ続けたのは、一つは彼女たちが「科学」という歴然とした事実を扱う業界にいたということ。科学の世界は、「事実」に誰もがひれ伏す世界である。その分、何年「努力」をしようとも、それが徒労に終わり、何の業績も挙げられない可能性も秘めてはいる。
 しかし、ある意味、事実の前に誰もが平等になれる世界であることは間違いがない。

 彼女達の全員が、恋をし、結婚をして子供をもち、自分の人生と研究を「そのときなりの事情」に合わせて、水が器に沿うように生きてきた。その「成果」の重みが、今日の私達の人生の可能性を拡げてくれているのは間違いのない事実である。
 本書を読むと、彼女たちの殆どが、その科学的成果に見合った名誉・出世と無縁であったことに、怒りを覚える女性の方も多いかもしれない。
 
 その中で、あえて私は思う。
 その憤りを超えても「やりたいこと」を見つけることが、現代に生きる私達に生きる唯一の姑息的手段なのではないか?
 100年後の子孫に、私達の世界が笑われる日は、そのような方法でしか築いていけないのかもしれない…。
 
「そのような特別な女性以外、働けないのはおかしい。」
「男性ならば、それほどのモチベーションがなくても何とかやっていっているのではないか?」
 言いたいことは良く分かる。
 
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 本書の中に出てくる女性達に、特別な人は一人もいない。
 あえて言えば、どちらかというと、「男性社会の価値観」に沿って生きるというより、そうしたことは全て突き抜けて、何だか飄々としたマイペースな生き方を貫いた人ばかりである。

 「押して駄目なら、引いてみよ」
 彼女たちが私達に教えてくれるのは、そうした男女不変の、「世渡りの法」であるような気がしてならない。
 
 「それは嫌だ」
と百年後の理想の世界のために努力するのもひとつの人生である。
 しかし、それは、「理論」の構築で済まされるものなのだろうか?
 現実の世界が理想的であったことは、歴史上、ただの一度もない。
 皆が問題点を考え、解決することはは、絶対に必要である。
 しかし、基本的に「職人気質」である私には、形にならない理念について考え続けることが、不向きである。自分の生き方を通じてしか、何かの役に立つことはとても出来そうにない。あるいは、何の役にたっていないのかもしれないが…。
 ある意味、「百万円は寄付できないが、一万円なら寄付が出来るような、小さな人間である」のかもしれないが、今の私にはそれしか出来そうにない。

 私達全員が、百年後の世界に向けて、少しずつ歩んでいる。
 そういった意味では、誰もが、未来に向けて努力をしている。

 全ての人間の社会は、暴力のみが支配するような許しがたい無法地帯と、真綿で首を締めるような不平等(男女の問題に限らず貧富や身分などあらゆるもの)の間のいずれかの段階の苦しみを味わっている。
 そのような重い命題が、何か表面的な手法で解決出来ると考えられるほど、楽天主義者になることは私には到底出来そうにない。

  *こちらも良書でお勧めです。こちらは、あまりネガティブな気持ちにならずに、さらりと読めると思います。


20世紀の女性科学者たち


あまりにもひどい「人権じゅうりん」を黙っていることは出来ません。しかし、つまらないことを取り上げて文句を言うことが、かえって本筋を見失わせてしまうこともあるのだと思います。この書評が面白かった方はここをクリックして人気blogランキングへ投票よろしくおねがいいたします!


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