数学の能力は先天的なものか後天的なものか？

　数学に限らず、何かが「出来る」ようになるのは、才能の問題か？努力の問題か？というのは、多くの人の関心の的であったし、これからもあり続けるだろう。
　
　これらの議論をするときに最も大切なことは、その「出来る」ということが、数学であれば、それがどの程度のレベルで「出来る」という意味なのかをはっきりさせなければいけない。
　学校のテストである程度の点数をとれるようになるレベルのことなのか？
　天才的な数学者になるレベルのことなのか？
　恐らく、それぞれの人によって、そのイメージはこの両者の間の様々な段階であるのだろう。
　　　
　本書では、数学的能力のうち片手の範囲内（つまりせいぜい４か５位まで）の数の大小を判断することは、「学習」によらない生得的な能力である（＝数のモジュールの存在）とはっきりと結論付ける。
　この基本的な概念は、生まれながらにして、ものの形や色を識別する能力と同じように、ほぼ全ての人が持ち合わせている。
　人間には、ある程度までの数の、「瞬時把握」の能力が生まれながらに備わっているのである。

　そして、本書は、それ以上のほとんど全ての数学的能力が、「後天的に獲得する能力である」とする。

　本書では、乳幼児の発達における数の概念の獲得、パプアニューギニアにおける数の概念に関する調査、各種疾患における数学的能力の脱落（失計算）などの豊富なデータから、それをかなり根気強く読者に証明する。

　それらのデータをもとに、少なくとも通常の学校教育のレベルにおいては、一部の例外を除き、数学の出来不出来は、教育の工夫次第であると結論付ける。
　意外なことに、スタンダードな学校教育レベルでは、「数学」の能力にはさほど才能は関係なさそうなのである。そうした意味では、数学が出来る出来ないは、後天的な要因が大なわけである。

　それに加え、数学の能力を高めるのは、やみくもな計算ドリルや暗記ではなく、概念の正確な理解であることを本書は強調している。
　「計算が速い」ということと「数学が出来る」ということの根本的な違いについてもきちんと触れている。
　概念をきちんと理解し、様々な計算のきまりがきちんと使えるようになれば、自ずと計算が速くなるということに関しても、説明のページをさいている。

　学校時代、数学が好きだった人も、嫌いだった人も中々楽しめる本だと思う。
　
　巻末に「数学的思考力」を試す、テスト嫌いの人も楽しめる愉快なテストがついている。


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　物事には、一般的な事例と、特殊な事例が存在する。

　本書は一般的な事例について述べた上で、
　�‘端譴平�学の天才
　��他の知能は低下しているのに数学的能力が高度に発達したいわゆる「サヴァン」などの事例
またその対極にある
　��数学の学習障害
について説明する。
　
　つまり「普通の能力差」と「極端な能力差」では議論の土台が違うということを読者にはっきりと告げる。
　
　物事には例外のない事項はない。
　一歩、最大公約数的な事例を離れれば、全ての人に「共通な」教育法というのは、やはり幻想に過ぎないのかもしれない。
　教育はとても大切である。
　あまりにもセンチメンタルな平等論で、一律に全ての人を扱うのは、やはり全ての生徒を不幸にするのではないだろうか？

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　＊数学の天才
　極端な能力差を示す特別な事例では、教育とは無関係に能力が高度に発達もしくは脱落するということを、具体的な事例をあげて、丹念に説明してゆく。
　
　天才の事例では
グッド・ウィル・ハンティングを地でいく、数学者達も舌をまいたインドの数学の天才ラマヌジャンの例を挙げる。
　
　ラマヌジャンはマドラス港湾局の経理部で働いていた貧しいインドの青年であり、そこそこの学校教育しか受けていなかった。
　しかし、自分が数学の天才であるということを「知って」おり、世界的数学者ハーディに手紙を書く。その手紙を受け取ったハーディは、ラマヌジャンが「自分を遥かに超える天才」であることに気付き、彼の大学進学を援助することに決める。
　ちなみに、ラマヌジャンは、数学以外の能力に関しては至って普通の能力の持ち主であるため、奨学金をもらって大学に進学したものの、他の科目はついていけず、苦労するのである。

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＊数学単独のみの学習障害の特殊な事例

　一方では、学習障害の例では、純粋な失計算のみを示すが他の知能は高度な心理学科の学生チャールズの例をあげる。

　そうした事例（本当に稀ではあるが）においては、本質的に人間なら誰でもがもっているはずの数のモジュールの概念が欠如しているために、どのような学習をしようとも、数の大小や簡単な計算すら理解できないということについて述べている。
　本書はそれを「数のオンチのようなもの」と分かりやすく説明している。

　チャールズは、一桁の足し算や買い物も出来ない純粋な失計算の症例である。しかし、驚くべきことに心理学科の学生として必要な「統計学」をコンピューターに任せることで、心理学の学習に何の支障もきたしていないのだ。

　チャールズは、研究にとても協力的で、自らの数学的能力の欠落が「努力の欠落」ではいことをはっきりと認識しており、その理由を自ら進んで知りたがっていたということだ。

　チャールズのような、純粋な計算のみの能力低下の「理由」を説明するために、筆者はまず、脳における計算の中枢である左頭頂葉に障害を来たした脳卒中の症例を多数例示する。
　それを通じて、計算が、言語や他の能力とは一線を画した「純粋に確立した」能力であることを読者に説明する。

　症例の中には、一桁の掛け算のみに障害を来たした、公認会計士の例などが含まれており、同じ計算能力でも、機能がかなり細かいエレメンツに分かれて低下しうるということを根気強く説明してくれる。

　また、一部の計算能力（上記のように一桁の掛け算のみ）が脱落した例では、他の計算手法を使ってその能力を代償し、かなり難しい計算までもをこなすという例を示す。
　つまり、「結果」を見ただけでは、その人の数学的思考過程に脱落があるかどうかの判定はつかないわけである。
　
　更に、本書は、数の概念が左頭頂葉にあるその「理由」についても述べている。
　もともとが数を数えることに「指」は欠かせない。
　子供は皆、指を折って数を数える。

　筆者らは、脳卒中や脳腫瘍による左頭頂葉を中心とする病変により、古典的には「失書、失算、手指失認、左右失認」という四つの症状を来たす、有名なGerstmann症候群に着目する。
　そして、筆者らは、その左頭頂葉を首座とする四つの症状は、決して並列的なものではなく、本質的には「指の概念が分からなくなる」手指失認が病態の本質であると主張する。
　数を数えることは、指を用いた身体活動であり、手指失認により「脳で数を数える概念」までもが失われ、それにより計算が出来なくなるものだという理論を示す。
　その上で、Gerstmann症候群の一部分の症状が、先天的に出現する事例がある、という風にチャールズらの症例まで話を進めていくわけである。

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＊後天的な学習の部分について

　数学の能力のうち、先天的なものは極くわずかであることは分かった。
　しかし、残りが「後天的に獲得する能力」ならば、それは全ての人に等しいチャンスがあるということなのだろうか？
　後天的に数学を学習する能力には、空間認知力などの他の能力がどうも深く関わっている。カリキュラムが悪いのは論外だが、同じように学習を進めても、「後天的な学習能力」に必要な他の能力の差によって、数学の成績にはやはり差がついてしまう。
　
　教育は数学的能力の向上に、極めて重要である。
　「数学は地理などの他の教科と違い、順不同に学ぶことが出来ない」と著者らは強調する。つまり、ある部分が脱落してしまったら、次のステップは理解できないのは皆様もご存知の通りである。

　このように、頻度は少ないが学習障害の事例も存在する上、後天的な学習能力の個人差もある。
　理論的には、小学校１年生の教科書を１２年間かけて学ばせても、同じ速度で学習を進行する限りにおいては、「全員が100点をとる教育」は不可能である。

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　つまり、数学教育は「レベル」の問題ではなく、やはり、個別の進度調整が最も大切であるのだ。全体のレベルを下げるのではなく、つまづいたところをじっくり学べるようにすれば、「チャールズ」のような特殊な例を除いては、恐らくほぼ全員が高校卒業レベルまでの数学の基本をきちんと学べる可能性が高い。
　何かの拍子で、つまづいたところに戻ることが出来るなら、その後は飛躍的な進度で学習することが可能なのだから。

　恐らく、そうした理想的な状態を全ての子供にもたらすことは、
「学校の授業時間」の中では、物理的に不可能であるのは明白だ。
　それを下支えしているのが、「塾」という存在なのだろう。
　それを公的な教育の中で実行するためには、「塾」に近いプログラムを取り入れることが必要なのだろう。
　費用その他を考えると、断定的に語るのが難しい問題である。

　著者は、数学的能力のみが脱落している症例に関して、
　彼らが他の知能は全く正常もしくは高度であることを強調し、
「ひとつの能力を基準に他の能力までもを判断することの愚かさ」を読者に理解させようとする。
　数学の天才であれ、学習に支障を来たしている場合であれ、ひとつの基準によって、他の能力の全てを判断しようとすることは誤りであることを肝に銘じたい。
　
　本書によると、イギリスの調査では、数学が嫌いな生徒は何とわずか１％だという。
　日本で同様の調査をしたらどうなるのだろうか？真ん中を目指して、ぎゅっとそこに集らせるような授業のために、結局誰もがつまらなく感じていないと良いのだが…。

　「平等な教育」は、「出来ない人がかわいそう」だという視点から成り立っている。
　しかし、どのような能力も、その人のほんの一部分に過ぎないということを、私達が根本的に理解するならば、「何かが出来ない」ということは恥ずかしいことではなくなる。
　何かが得意なら、別のことが不得意…。
　そんな風に気楽に考えれば、かえって「みんなが分かる授業」なんて肩肘を張らずに済むのかもしれない。
　
　この世は、「馬鹿か利口か？」と二分するような、短絡的な考えで人間を序列するほど単純に出来ていないのだ。

　
アンネの日記のアンネ・フランクは、数学が大嫌いだったようである。
　あれだけの文章を書く能力をもった、頭の良い少女だったにも関わらず、その日記の中で「代数の教科書がなくなればいいのに」という意味のことを書いている。
　だからと言って、アンネ・フランクが「優秀でない」と思う人は誰もいないであろう。


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