最近、人間がもつ悩みに軽重があるか?という疑問がふと脳裏をよぎることがある。

 順当に考えれば、人間は歳をとればとるほど、少なくとも下の世代の抱えている悩みに対しては、理解し共感出来るようになるはずである。

 年齢を重ねるごとに、「人生の知恵袋」のようになった長老や素敵な老婦人が映画や小説の世界には良く出てくる。
 しかし、本当に、全ての人がそういう理想的な人物になれるのだろうか?

 人間は、所詮、身の丈にあった考え方しか出来ない生き物だ。
 そう考えていくと、それぞれの悩みは、同じ世代・同じ立場の人にしか理解出来ない。

 つまり、どのような悩みでも、それよりも深刻な悩みを抱えている人から見たら「つまらない悩み」に思えてしまうのが普通だ。つまり、喉元過ぎれば何とやら…の法則で、年齢を重ねるごとに幅広い「共感力」とでもいうべき能力が備わってくるというわけにはいかないようなのである。

 つまり、どの世代の人も、結局は、とても幅の狭い範囲でしか他人の立場を理解することが出来ないのが普通なのだ。つまり、自分より年下の人の「自らが通り過ぎてしまった悩み」は全て「下らない」のである。
これが、一般的に「ジェネレーション・ギャップ」の正体なのだろう。

 ミラン・クンデラの小説
存在の耐えられない軽さは、肉体的な愛と精神的な愛に優劣はあるか?というのが小説のテーマのひとつ(全部ではない)になっている。
 この問題も考えれば考えるほど、一概に言えない、議論の尽きない問題である。
 
 しかし、それ以上に、「悩みに重さと軽さがあるのか?」という疑問は、私を思考の迷路に陥いらせてしまう。

 

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 それぞれの世代には、それぞれの悩みがある。

 小学生A子ちゃんの悩み:ずっと仲良かったお友達が、急に他の子と仲良くなって、私とあんまり遊んでくれなくなったの。

 高校生B君の悩み:本当はイラストレーターになりたいけれど、親が「大学へ行け」と言う。

 女子大生 C子さんの悩み:彼に振られました。二股をかけられていたんです。
でも、まだ彼が忘れられません。何とか取り戻す方法はないでしょうか?

 主婦D子さんの悩み:夫は毎日忙しく、家事育児は私一人にかかっています。
子供たちの受験も重なり、精神的に参っています。

 会社員Eさんの悩み:大きなプロジェクトを任されましたが、うまくいかず、左遷されました。もうすぐ会社をリストラされるかもしれませんが、私の歳では再就職も難しいと思います。
子供が三人いて、妻は、今まで働いたことがありません。

 六十代男性Fさんの悩み:財産を知人に騙し取られ、友人も子供たちさえ皆離れていきました。妻はかなり前に亡くなりました。体も持病をかかえ、先行きが不安です。老いた男には誰も近寄りさえしてくれません…。

 どうだろうか?普通に考えると、上から下にいくほど悩みは深刻であるように思える。
 最後のFさんの悩みが最も深刻であり、上に行くほど、「まあなんとかなりそうな悩み」にも受け取れる。
どのような「悩み」でも、それを過ぎ去った人の立場から見ると、ある意味、取るにたらない悩みである。
 しかし、これらはどれも「どうでもいい悩み」であるのだろうか?

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 その観点から、これら全ての悩みに、それより上の世代の立場から答えると
 A子ちゃんには、「またいいお友達が出来るよ!」
 B男君には「未来には色々な可能性があるね。若いって、羨ましいな。ゆっくり悩んで!」
 C子さんには「これからいくらでも素敵な出会いがあるよ」
 D子さんには「過ぎ去った後から見たら、その頃が人生で一番の華だったと思いますよ」
 Eさんには「あなたは健康だし、まだ若い。どんなことをしても死ぬ気でやれば食べていけますよ」
とあっさりと答えが出てしまう。
 Fさんに対して、「生きている限りいいことがありますよ」といえるほどの人生の重みを知っている人はそうはいないと思うが…。

 しかし、そのアドバイスを聞いて、相手は
「そうですか。確かにその通りですね。前向きに考えてみます。」と感じることが出来るものだろうか。

 場合によっては「その通りだけれど、そううまくいかないから悩んでいるのだ」と反感を覚えてしまうのではないだろうか?

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 こうした種類の、上から見下ろした立場のアドバイスは、両刃の刃である。
 アドバイザーの立場の人が「温かい心の持ち主」である場合は、救いになるのかもしれないが、「何をつまらないことで悩んでいるのだ。人生にはもっと重要な問題があるのだ。」という考えを持っていると、単なる「冷たさ」にしかならない。

 自分が取るに足らない人間で、取るに足らない悩みしか持っていないと思われるほど、人間にとって辛い現実はないのだ。

 もしかしたら、場合によってはそうした高みの見物のようなアドバイスより、もっと役に立つアドバイスがある。そうした中では、異世代の人からの教示よりも、等身大の立場からの同意の方がより「救い」になる場合もあるのだろう。
 例えば、失恋したC子さんにだったら「その気持ち分かるわ。私もそうだったの。でもね…」という世代の近い女性の共感から来るアドバイスの方が良いだろう。
 それはつまり、簡単に言うと心からの「共感」なのである。

 この「共感」は往々にして、「偽善」に陥りやすい性質をもっている。
 そして、共感が偽善にならないのは、もしかしたら、「同質性」のみかもしれないのだ。
 共感が同質性のみによって成り立つとすると、自分以外の誰かを救えるという考えが、徒労に過ぎないではないかという疑問が脳裏をよぎってしまうのだ。
 そう考えていくと、「経験」がどのように重みをもつのか、その意味を考えることは極めて難しい。

 話を聞くより、行動が何よりの場合もある。
 会社のことで悩んでいるEさんにだったら、再就職の有力な情報などの実用的な情報の方が、建前論より余程、ありがたい気持ちになるだろう。
 この「行動」には、「共感」が伴う必要は、あまりない。
 例え、「義理」からくる親切だって、現実的には救いになることもあるのだ。

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 殆どの人が、自分がその時生きている世代の、その世界の中で起きる出来事にしか共感を示すことが出来ない以上、もしかしたらどのような悩みにも「軽い」「重い」ということはないのかもしれない。
 これだけ社会が「輪切り」にされて異世代の交流が失われた時代には、特にそう思う。

 しかしそれは、ふと考えると、とても寂しい現実だ。
 自分より人生の先輩の、深刻な悩みを分かるほど成長出来なくても良い。
 せめて、自分が通り過ぎた世代の範囲では、人の痛みの分かる自分でありたいものだ。
 忘れかけた視点、忘れかけた想い。それを「幼稚な考え」と一刀両断にするのは簡単だ。しかし、小学生のA子ちゃんと話すときは、しゃがんで相手の目線と自分の目線を合わせる自分でありたい。

 自分より上の世代への人に対しては、「いつかは老いていく自分」に対する精一杯の想像力を駆使していくしかない。
「○○歳になったらもう終わり」と目上の世代を憎むのは、本当は少しづつ老いてゆく自分への憎しみの裏返しなのだから。
 その証拠に、自己イメージがきわめて良好な人は、その人が現時点で何歳であろうが、あまり年齢のことを気にしない。

 本当は「何も分かっていない」のかもしれない。
 しかし、「人間は、その立場にならないと見えてこないことが沢山ある」ということだけは常に頭の片隅においておくことが、少しは役に立つのではないだろうか。


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