見知らぬ男性からの、あまりにもストレートで素直な賞賛を不快に思う女性はあまりいない。

 昔、多分VOGUEだったと思うのだが(記憶が定かではない)、アメリカの雑誌で
「工事現場を通りかかって、ヒューヒューと口笛を吹かれなくなったら、女性としては終わりだ。」
という内容のエッセイを読んだことがある。
 陰湿さのない、通りすがりの男性からの「からり」とした陽性の賞賛は、大抵の女性を誇らしい気持ちにさせるはずだ。

  前回のブログで取り上げた書籍テストステロンには、工事現場を通りかかった時に、そこで働く男性達に「自分の電話番号を残していく」タイプの女性についても記載している。
 女性の全てが「適度なテストステロンの人格者」に魅かれるわけではないのは確かに事実である。

 異性として魅かれるかどうかは別として、一人の人間として、男性的な明快さと優しさに助けられるということは確かにある。

 子供の頃、「言葉」でねちねちいじめてくるA君に対して、普段は乱暴なガキ大将(成績は最下位クラスだった)のB君が「女をいじめるなよ!」と一喝してくれた時…。
 つい昨日、工事中で狭くなっている道路を自転車で通りかかって苦労していた時、突然「お運びしましょう」といって、作業をしていた男性が自転車を頭上にかついで向こう側まで運んでくれた時。
 こうした「親切」には「論理」は一切ないが、理詰めで考えた「男女共生の方法」よりも、現実の世界では女性達の救いになるのは確かである。

 どのような性質にも、それを「良いもの」に出来る人と、「不快なもの」にしてしまう人がいる。「男らしさ」ということ自体はニュートラルな存在だが、そこに個人の倫理観や人間的センスが加わって、初めて意味をもってくるのだろう。

 だからといって、「変に思われたら嫌だ」と男性が恋愛恐怖症になってしまう必要はないと思う。
 不思議なことに「こんなこと言って変に思われたらいやだ」と少しでも悩むような男性には何の問題もないことが多い。
 全くそうしたことは考えず、自分の思ったままの言動をしている人が、多分問題なのだ。
 そうした困った「お仲間」の男性のために、自分までもが疑いの目で見られるのは、確かに不愉快だと思う。
 しかし、大抵の女性はそれほど馬鹿ではないので安心して欲しいと思う。


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 そうした上質なやり取りが男女相互に楽しめるためには、相当に成熟した社会文化が必要である。
 物事はすべからく「陽性」に行なわれたときは好感をもたれる。
 女性が「どんな目に逢わされるか分からない恐怖の予感」を感じるのは、そうしたやり取りが、拒絶しているにも関わらず「一方的」「陰湿」「反復的」に行なわれた時に限られると思う。

 「禁止」という形で、男女の間の「会話力」を抑制するやり方は、恐らく子供文化が支配する国々では仕方がないことなのかもしれない。
 「阿吽の呼吸」が分からないなら、「マニュアル化」するしかないからだ。
 
 しかし、カフェに座っていると、「綺麗な髪ですね」とか何とか、見知らぬ男性が通りすがりに声をかけて去っていくというのは、相当に「上品な文化」である。
 そうした範囲内であれば、女性も普通は
「ありがとう。嬉しいわ。」
と余裕で返せると思う。
 もしくは
「まあ、失礼な方ね。」
と優雅に言い返すとか…。
 
 こうした文化のある国では、「老婦人」の域に達した女性に対しても、男性たちは礼儀としてそうした声かけをする。つまり、本能を洗練の領域にまで高めているのだ。
 そこまでの覚悟があるなら、そうした文化を形成していくのも悪くはないと思う。
 何の訓練もなしに、全てを抑圧した文化では到底それは不可能である。
 日常に常識的な潤いがあれば、恐らく、唐突に相手がとまどうような行動に出るようなことは少なくなるのかもしれない。


 ある意味、最初に例をあげた、「工事現場の男性の口笛」もそうした様式美の世界であるから、それほど女性を悪い気にさせないのだ。
 その重要なポイントは、それによって危害を加えられる恐れがない、という点にあろう。
 
 テストステロンが、高かろうが低かろうが、素敵な男性になることはもしかしたら可能かもしれない。


男性たちの「僕達はそんなに得をしているわけじゃない!」という閉塞感を解決することが、最も大切なのかもしれません。最新人気blogランキング!


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