ジーンウォーズ―ゲノム計画をめぐる熱い闘い

ゲノム戦争が終わった後、私達には広大な未知の分野が残った

 遺伝子の解明。これは長年の人類の夢であった。
 「人間の遺伝子配列を全部明らかにすれば、生命や進化、病気、性格といった人類にまつわるあらゆる謎が解けるに違いない。」
 その夢の基盤となる考えはいたってシンプルなものである。

 「私達に『指令』を送っている情報が全てわかれば、謎が解決するかもしれない」というのは至ってまっとうな考え方である。そして、その夢を国家的プロジェクトにしてしまう米国の科学者達の姿勢は、やはり敬意に値するとしか言いようがない。

 重箱の隅をつつく前に、まず王道をいく。
 出来るようで中々出来ないことだ。
 
1980年代半ばに始ったヒトゲノム計画の発案者は、勿論アメリカである。
 そして、イタリア、フランス、イギリス、ドイツ、デンマーク等の欧米各国、そしてカナダもゲノム計画を立ち上げる。そして、それに更に遅れて、日本もその遠大なプロジェクトへの参入を試みようとする。
 そして何と、そうした旧西側諸国以外に、旧ソ連にもゲノム解読プロジェクトがあったという事実が明らかにされている。

 勿論、それだけの国家と人材が関わりあう大事業に、争いはつきものである。しかし、この計画のすごさは、幾多の争いを飲み込んで、国家間が最終的に協調し、未曾有のスピードでこの計画を達成した点にある。

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 この計画のそもそもの発端は、1986年にノーベル賞科学者のレナード・ダルベッコが乳がんの原因遺伝子の多様性に関する自身のサイエンスの巻等論文で、「ヒトのゲノム配列を決定することががん撲滅の鍵となる」という趣旨の論文を発表したことが引き金であった。
 
 こうした考えは、多くの科学者が、例え学生レベルであっても漠然とは考えていたことだと思う。しかし、ヒトの染色体が持つ、約30億の塩基対の配列を全部読み取るなどということをはっきりと提案できる人物は、ダルベッコの他にいなかった。

 「偉くなる」ということはつまらないことだ、という人も多い。
 しかし、上り詰めるところまで行き着くということの本当の意義は、こうした正論を正々堂々と世の中に発表して、それが認知されるという利点にあるのだ。
 ダルベッコの科学者としての偉大さと、名声や欲によって行動するわけではないということがつとに知られていた人柄が、人々の心を揺さぶった。

 同年夏。
 コールドスプリングハーバーで開かれた「ホモサピエンスの分子生物学」と銘打たれたシンポジウムの席上である。ハーバードの天才分子生物学者ウォルター・バーグが、このプロジェクトを達成するには、「1塩基対あたり1ドル。つまり30億ドルが必要である」という試算を発表した。

 そして彼は、この時点でヒトのDNAはわずか200万対しか解明されておらず、このプロジェクトが立ち上がらない限り、ヒトの遺伝子地図が出来上がるのには約1000年がかかるが、それを何とか100年に短縮しなくてはならないと語る。
 「この計画はアポロ計画に匹敵する人類未踏の国家プロジェクトである。」
ということでは、科学者達の心情は、その時点でも恐らく一致していたと思う。

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 ところが、この会議は粉砕した。
 まず、コストが巨大すぎるという点が槍玉にあがった。
 そして、「遺伝子」という極めて、センシティブな問題をいかに扱うか?という点が何より大きかった。

 そうしたことをクリアするには、科学者達の個人的興味だけでは、計画の遂行は不可能である。倫理面における人々の同意が必要であるし、政治家たちを巻き込む必要がある。
 
 そして、科学者達の関心事はそれだけでなかった。
「それだけ多額の金額がひとつのプロジェクトに注ぎ込まれたら、他の分子生物学の分野の研究費が削られるのではないか?」
 
 つまり、自分たちが割りを食うのではないかという心配が科学者達の心をよぎったのである。
 何だか、大型スーパーの進出に反対する街の商店街の人々みたいである。
 今読むと、かなり笑えるが、当時の彼(女)らは真剣であったと思う。

 この会議の司会は、ダルベッコとはまた別のノーベル賞科学者ポール・バーグであったが、その力をもってしても混乱はおさまらなかったという。
 バーグ博士は、
「コストはさておき、ヒトのDNA配列を知ることに科学的意味があるか」
ということに議論を集約しようとしたが、人々の関心はそうした枝葉の部分に向いてしまったそうなのだ。
 はっきりいって、この計画は、当初科学者達の猛反発をくらったのだ。

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 こうした初期の苦しみをクリアし、ようやくゲノム計画の実行自体に関しては、以外にも早く、多くの人々の意見が一致をみるように段階的に移行していった。それには著明な科学者達の情熱が大きな原動力となったのだ。
 
 しかし、その次には、主導権争いという新たな問題が表出した。
 それはアメリカエネルギー省(DOE)と国立衛生研究所(NIH)の対立である。

 ヒトの遺伝子地図を解明するというのは、人類の歴史のエポックメイキングな栄誉であることは間違いがない。プロジェクトが立ち上がった後、この二つの機関は、1986年から1988年までの約二年間の間「どちらが国家からこのプロジェクトの予算をもらい主導権を握るか」ということで、科学者達を巻き込んで激しい争いを繰り広げるのである。

 「誰がどこでどうやって」この計画を施行し、栄誉を得るか?
ノーベル賞級の研究者は、発案者であり、実行者は、若手の第一線の研究者である。政治家たちも、「このプロジェクトの立役者」になりたかったであろう。

 そして、最終的に両巨頭国家機関が
「争っていても仕方がない。共同してこの研究をすることが人類の利益だ」という合意に達した後は、倫理面での猛反発が待っていた。

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 1990年代に入り、倫理的な観点から、このプロジェクトに組織的に反対するグループが登場したのだ。彼らは、手紙などの運動手段も使い、この国家プロジェクトに倫理的理由で反対の意を表した。

 科学というのは「事実を無造作に発表」した結果、「非人道的」「思いやりがない」と人々の批判を浴びる宿命を浴びている。科学者に関して、冷血の悪魔といったイメージすらもっている人々もいるようだ。

 ましてやそれが、「遺伝と疾患」という、人々の人生と価値観に直接的に関わる問題なら尚更である。
事実というのは、確かに、この世で一番残酷な存在である。
その扱いには、十分注意が必要である。

 しかし、だからといって、「事実を隠蔽したり、知ろうとしない」というのが正しいことなのだろうか。倫理と科学のこうした対決は、延々と続いて止むことがない。
 そして、「倫理」の前には、「事実」はやはり頭を垂れなければいけないものなのだろうか?

 そして、この反対運動を鎮めるための立役者は、自らも遺伝性疾患であるハンチントン病の家系に生まれ、同病によって母をなくした女性科学者であった。本当の苦しみを味わっている人々にとっては、以外にも、「事実をありのままに知りたい」という希望があることも多い。
 「倫理」に対抗しうるのは、そうしたインサイダーの立場からの冷静な論理だけであるのかもしれない。

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 そして倫理の問題をクリアした後は、解明した配列を特許とし、私物化して莫大な富を得ようとする人々の暗躍が待ち受けていた。
 お決まりの法廷闘争。
 「DNAという自然に存在するものに特許はふさわしいか?」
 しかし、巨万の富を得られるという夢がなければ、人間は労働をしたくないものなのだ。やはり夢だけでは、駄目なのか?
 その問題はそうした普遍的な疑問を私達に突きつける。


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 こうして、次から次へと難題が出現する巨大プロジェクトの結末は、結論から言うと、以外にもハッピー・エンドであった。

 本書は、1995年の出版である。
したがって、「いかにゲノム計画が立ち上がったか」ということで本書のストーリーは終わっているのだ。

 その後の物語は、本書には記載されていない。
 「100年はかかる」といわれていたヒト・ゲノム・プロジェクトは、2003年4月15日、30億個の塩基配列のうち、日米欧の協力のもと、その99.99%が解読されたのだ。
 個人の欲望に、科学者達の情熱が勝った(勿論その蔭には幾多の汚い物語があるが)現代のおとぎ話としてこの物語は結末を迎えたのである。
 残念ながら、先ほど述べた法的な問題、倫理的な問題は、今後も人類につきまとい続けるだろう。それに関する答えは、いまだに明快ではない。
 しかし、とにもかくにも、大局的な見地から言えば、「目的は達成した」のだ。

 そして、遺伝子の解明の後、当初の希望とは異なり、広大な未知の分野が科学には残された。
 それは、「機能解析」である。
 残念ながら、遺伝子を知ることは、あらゆる疾患の病因解明の全てではなかった。
 その遺伝子が、いかに蛋白を合成し、その伝達のためにはどのようなシグナルが存在するか。遺伝子解明の後には、そうした膨大な研究課題が残されたのである。

 しかし、千年後にそれに取り組みはじめるのに比べればずっと良い。


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