遺伝学者は何年ものあいだ実験室で、患者と会うこともなく患者の家族を思いやったりすることもなく、仕事を続けることが出来る。日常の実験室での仕事は、能力と集中を求められるものであるとしても、割合単調なものだ。しかし、ある病気の重みをじかに経験し、ある特定の人が苦しみ痛めつけられているのを実際に目にすると、実験室での仕事はまったく新しい意味を帯びてくる          (ジーン・ウォーズより引用)

 研究というのは、それからビジネスも同じだと思うのだが、本来は「素朴な疑問や着想」から発想することが意外に大切である。
 しかし、私達の多くは、お金の調達の都合や周りとの歩調などの関係で、「研究のための研究」「ビジネスのためのビジネス」などをしなければいけない事態に陥る。
 そもそも、最初はそれは、もっと大きな夢のための足がかりだったはずだ。
しかし、凡人である私達(一緒にされたくない方ごめんなさい)に与えられた時間はあまりにも短く、そうした瑣末なことに関わってうちに、あっという間に時は過ぎ、当初の夢や情熱は消え去ってしまうということになりかねない。

 昨日のブログジーンウォーズ―ゲノム計画をめぐる熱い闘い
で考察したヒトゲノム計画は、莫大な利益(科学という意味でも金銭的にも)を生み出す巨額の投資価値のあるプロジェクトである。
 だからこそ、科学者のみならず、政治家や政府を巻き込んだ巨大な計画に発展した。その点は、普通の研究やビジネスとはスケールが異なる。

 しかし、本当に「お金がない」「人材が少ない」だけが、私達が自分の着想を実行に移せない原因なのだろうか?

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 アメリカの欠点は多くあるが、ひとつ見習うべき点は、こと研究などの分野に関してはカフェテリアでの友人同士での雑談レベルが、すぐさまひとつのプロジェクトに発展し得ることだろう。
 あらゆる論文や過去データを単に組み替えただけのような研究は、あまり評価されない。
 オリジナリティが最も大切なのである。
 
 そして、結局は、壮大なプロジェクトに大切なのは、私達の心の中にある「夢」なのかもしれない。
 それを笑った時点で、私達は自分の人生に負けている。

 ヒト・ゲノム計画の真のすごさは、「個人の夢」が国家規模に発展した稀有な例だという点にある。
  
 しかも。このプロジェクトは、国家が先導して、上意下達式に科学者にプロジェクトが投げかけられたわけではないのだ。
 その発端は科学者達の「夢」にあった。共通の目的に対する連携が、国家の枠組みを超えて地球規模にまで発展したのだ。人の遺伝子地図をつくるという大事業は、個人の「欲望」、つまり私利私欲だけでは絶対に達成できなかったのだ。

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 話は変わるが、私は古典文学に詳しくないが、以前、こんな文章を読んだことがある。
(出典が手元になくて申し訳ありません)

 ご存知のように、平安時代は男女の交歓や人々の交流に、和歌を交換する習慣があった。ところが、当時の「上手な和歌」の基準というのは、いかに万葉集などの過去の有名な和歌や漢詩などから引用をしているかということで高い評価をもらうことができた。
 逆に、例え、上手な和歌であってもそうした「知的な引用」がないものは、評価が低かった。現代では、評価が高い和泉式部は、自分自身の心情を素直に詠む和歌を創っていたため、当時はそれほど一流とは認められてはいなかった。
 大体そんな内容である。

 私が何を言いたいかというと、「この世には引用もできないほどの新しい真実がある」ということである。
 その真実に挑むには、時には、ぬくぬくと気持ちの良い「仲良しクラブ」を離脱しなくてはならないこともある。
 綺麗事だけではない、善悪の全てを飲み込まなくてはならない。
 そうした強靭な精神の持ち主だけが、ほんの少しだけ真実に近付くことが出来る。
 
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 「好かれるか嫌われるか」
 「他人から誉められるにはどうしたら良いか」
 そうした方法論を全て捨て去ったところからしか始まらない、
 そんな世界もあるのだ。

 確かに、新しい事実というのは過去の事実の上に積み重ねなければいけない。
 ベーシックな知識がなければ、斬新なアイデアが生まれる土俵にすら立てないというのは間違いがない。

 しかし、そこを超越した世界というのは、芸術や科学といった全ての世界に、確かに存在する。
 人は普通、その領域に達した人々を天才という。
 しかし、恐らくそう呼ばれた人々は、そこに至るまでの過程では、ある程度の内面的な孤独を味わってきたであろう。もしかすると、そうした孤独を「心の平和」として楽しむことが出来る人だけが、そうした境地に達することが出来るのかもしれない。


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 天才=個性的=変人というのが世の固定したイメージである。
 確かに、不遇の天才というのも多く存在する。

 ところが、そうした本当に優れた人々においては、人格的にも温厚で他人に関する共感をきちんと備えている方も極めて多い。ゲノム計画のような巨大プロジェクトになると、結局はそうした種類の優れた人物というのがキーパーソンになって推進するしかない。

 しかし、そうした牽引力をもった方の特徴として、温かい心の持ち主でありながら、心のどこかに他人を立ち入らせない毅然とした領域をきちんと確保していらっしゃるような気がしてならない。
 表面の調和と、内面の強靭な孤独。情熱と分析力との癒合。
 そこがまた、人々の尊敬を集める所以なのであろう。
 
 それに加え、当然であるが、あまたの「無名の研究者」の日常の努力こそが、真のゲノム計画の成功の要因であったことは言うまでもない。
 例え名を成さなくても、大きな夢のための礎になることが出来るか?
 それが結局は、私達にとって最も大きな心理的課題なのかもしれない。
 状況によっては、私などは、「にわとりの頭になるよりは、竜のしっぽのうろこの一枚にでもなった方が世の役に立つのかもしれない」と、ふと思うことさえある。

 「成功のためには優れた頭脳と技術などのツールこそが大切であり、理由は問わない。」
 そうやって肩で風を切る「秀才」達は多い。
 ゲノム計画は、そうした考えをあっさり否定するのにふさわしい巨大プロジェクトであったことは間違いがなさそうである。


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