感情の科学―心理学は感情をどこまで理解できたか

あなたと私は、何について語り合っているか?


 人間の感情とは、何だろうか?

問1 単純な刺激−反応の結果なのか、複雑な思考によって導きだせるものなのか?それともその両方であるのか。

問2 自らはコントロール不能な反射なのか、それとも制御可能なものなのか?

問3 そもそも、喜びや怒りといった感情が生じる引き金となる事柄は何か?

問4 根本的な問いとして、どのようなものを「感情」呼ぶのか。
恐怖や怒りは感情であろうが、愛や希望といったものは「感情」なのか「思考」なのか?

 あなたは、これらの問いに、即座に答えられるだろうか?

そうした問いに関して、「感情」を科学として分析するための手法と、過去の研究成果を総括した著書が本書である。
 歴史的に感情に対する研究の学説は、大きく分けて四つに分類される。

ダーウィン説:感情は動物が毛を逆立てたりうなり声をあげるのと等しい普遍的な適応反応である 

ジェームズ説:感情=身体的反応である。

認知説 : 感情は何かを体験(認知)した結果生じる思考の結果生じる。感じるということは「考える」ということである

社会構築主義説:感情は色々な社会的価値観に影響された、個人が演じる一種の役割である。

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上の二つと下の二つの学説はそれぞれ似ている。
ダーウィン説とジェームズ説の違いは、ジェームスから派生する一派の学者たちは、例えば「顔が赤くなる」「手に汗握る」などの自律神経系の反応に基づく感情の「表出」に重点をおき、感情は身体的反応として必ず表現されると考えていた。

 また、ジェームズの流れを汲む「感情=身体」説の一派は、「顔面フィードバック説」というのを唱えていた。 これは、簡単にいえば、「いつも笑顔でいれば心の中まで明るくなる」という学説である。
この学説は、1924年に社会心理学者のフロイド・オルポートにより最初に提唱された。
 これは、身体の反応の表出法を変えれば、内面も変わるという主張に基づく学説である。

 この説に関する、最も有名で珍妙な(?)実験は、1988年に行なわれたストラックらによる「自覚なしに笑顔を作らせた場合の感情の変化」に関するものであろう。
 ストラックらは、被験者を歯にペンを加えさせて無理に笑顔を作らせた場合と口をすぼめさせた場合の二群に分けて、漫画を読ませた。
 そして、無理やりにペンを加えて笑顔の形を顔につくっただけで漫画をより面白く感じたという結果を導いたのである。。

 企業研修などの講師をしている人が聞いたら喜びそうな結果である。
 確かに、社会人としては、ある程度「自分を型にはめる」ことで、それらしい気持ちになるということは一つの真実であるとは思う。

 しかし、本書の著者は、これらの「強制的な顔面の形による感情の違い」に関する実験結果には懐疑的なようである。
 あなたは、本当に深刻な問題を抱えているときに、口角を横に引っ張って笑顔の型をつくっただけで、明るくなれるだろうか?しかも、一人の時に。
 一度試してみて欲しい。

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 認知説と社会構築主義説の違いは、前者は感情は個人的な体験であると考えていたのに対し、後者は、思考が社会的な価値観に大きく影響されると考えている点にある。

 これらの「感情は思考の結果生ずる」という学説を唱える人々に対し、「感情=身体反応説」の人々は、「感情には認知すら必要がない」という反論を行なう。
 つまり、感情は、反射的に起る身体反応なので、思考を経る必要はないと述べるのだ。

 確かに、ジェットコースターに乗った時やバンジージャンプをする時、他人に銃口を突きつけられた時に自然に出る汗は、「思考」の結果ではない。しかし、誰かを愛するという感情がそれと同様の「自律神経による血管運動系の反射」であるとはとても思えない。
 それから、ひどいことを見聞した時(たとえば電車内でいじめを目撃するとか)の時に瞬間的に湧く怒りは、確かに反射といっていいスピードで生じる。 しかし、これは「いじめが悪いことだ→怒り」という思考が猛スピードで生じているために、すばやく感情が芽生えただけである。
 思考が速やかなだけで、決して「欠落」しているわけではない。

 端的に言うと、これらの学説は、どれも状況によっては当てはまる。
 何を「感情」の範疇に含めるかによっても、考え方は変わってくる。
 つまり、どれもある意味本当なのである。

 著者であるコーネリアス博士は、これらの四つの学説を唱える人々の対立を、有名な
「大きな象を触る四人の目の見えない人の例え」になぞらえる。
「目の見えない人が大きな象の体の色々な部分を触って、それぞれしっぽや耳や体や足について語る」のは、象全体について説明しているわけではないという例えだ。


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 つまり、それぞれの単独の学説を強固に主張することは、「木を見て森を見ず」に等しいことであると考え、それぞれの四つの学説の正しい点、誤っている点を論じたのが本書である。
 それを、著者は、比較不能(incommensurate)な四つの概念であると述べる。別の言い方をすれば、四つの学説による感情は、相互に密接に関係しあっているという考え方も出来るであろう。

 ちなみに、著者は、怒り、恐れ、愛、希望が人間の基本的な四つの感情であると述べている。
 前二者は、どちらかというと感情−身体説によるものであろうし、後二者は感情は思考によるものであるという説によって生じるものであろう。

 面白いのは「希望」が感情であると定義している点だ。
「希望」というのは、「思考」そのものではないのか?
 私はそういう疑問を抱いた。

 それから、怒りや恐れという感情に関する考え方も、良く考えてみると難しい側面がある。
 怒りや恐れは元々は、身体的な反射によるものであるとほぼ考えられてきた。しかし、社会的に刷り込まれた価値観による「怒り」「恐れ」というものも多く存在することは間違いがない。

 「こういう階層の人は気にくわない」「こういう信条は許せない」という経験や学習を幼少時から知らず知らずのうちに積み重ねることによって、それらの人や物事に常に「怒り」を感じるようになるというものだ。
 「思考」を経ずに、「感情」としてある物事や人々が許せなくなってしまうのだ
 その感情は、一般に「差別」と呼ばれる。しかし、根深い学習によって生じたそれらの「差別的な感情」は個人の内部では、身体的感情に匹敵するくらい根深く定着してしまう。  
 つまり、他人の説得によって、後から取り除くのは極めて困難であるのだ。
 
 勿論、こうしたことの原因には、リーズナブルな理由が存在する場合と、そうでない場合がある。例えば、NYCの北側のエリアで女性が夜間一人で歩くと危険である、というのにはそれ相当の理由がある。
 それは差別ではなく、正しい判断力と呼ばれるものである。
 しかし、勿論、こうしたものには、誤解や迷信に基づくものも存在する。
 その理由に関しては、人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるかで考察した。

 自分が今、感じていることを自分でコントロール出来ないという感覚に捉われたことがない人はいないだろう。しかし、どこまでが制御可能でどこからが不能であるのか、本書を読んで、一度考えてみるのも悪くないと思う。


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