生存する脳―心と脳と身体の神秘
ソマティック・マーカー仮説の提唱者 ダマシオ博士の著書である世界的ベストセラーである。
ソマティック・マーカー仮説とは、ものすごく乱暴に言うと人間の「第六感」「直感」が人間の行動を規定するという考え方である。
本書の言葉を借りれば、
「特定の行動がもたらすかもしれないネガティブな結果にわれわれの注意を向けさせ、いわばつぎのように言い、自動化された危険信号として機能する(生存する脳より引用)」
ということになる。
要するに、「嫌な予感がすることはしない」我々の能力のことである。
我々が苦境に耐えられるのも、誰かのために利他行動をするということは、目先の利益よりも長期的な利益を優先させた方が有利であると取捨選択を行なった結果である。
卑近な例であれば、「頑張って勉強してよい大学に入る」とか「普段は節約して休暇は海外旅行に行く」とか。
親が自らよりも子供の幸せを願うのは利他行動の最たるものである。
ちなみに、このような遺伝子を共有するもの同士の利他行動は、今まではむしろ
利己的な遺伝子のような考え方で説明されることも多かった。
これ自体は、別に目新しい仮説ではないと思う。
それどころか、誰もが日常レベルの経験で納得がいくものであろう。
ダマシオ博士の斬新さは、これらの事実もこのソマティック・マーカー仮説により説明可能であると打ち立てた点にあるだろう。
つまり、こうした有利不利の取捨選択に、我々の思考のみならず、直感が深く関わっているというのだ。
ここまでは誰にでも理解できる。
「何となく虫が知らせる」
ということは誰にでもあるものだ。
しかし、これらの直感の獲得に、脳のみならず身体反応が関わっているという点がこの仮説の最も斬新な点であろう。
そして、この仮説によると、我々の思考に直感が大きく関わっており、むしろ思考よりも直感が先に来るという。
しかもその直感に脳、身体、社会的文化的側面すらも大きく関わっているという画期的な説なのである。
勿論ここでいう、「脳」には解剖学的な脳の機能と神経伝達物質のような脳の機能的な部分の両者が含まれる。
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以前のブログ感情の科学で、従来の感情の研究の流れには、大きく分けて四つの仮説があり、それぞれ感情が身体反応(もしくは自律神経反応)であるか、社会的文化的に構築されたものであるかという議論があるのを紹介した。
このソマティック・マーカー仮説は、これらの議論に終止符を打つべく、「これら全ての統合による直感」が我々の行動を規定しているということを証明しようとしたのである。
ついに象の一部でなく、全体をみようとしたわけだ。
しかし、私はこの仮説の素晴らしさを認めつつも、いくつかの本当に素朴な疑問を差し挟まずにはいられない。
まず第一の疑問。
直感≒無意識のうちに成立していると考えると、私達の思考≒意識はどこにいったのか?
実のところは本書は、そういった人々の質問に答えるべく著された著書である。その部分に関しては、本書にほぼ解答がある。
つまり、今までの「意識しているもの」のみの優位性を認めた考え方を、より無意識を重視する方法にシフトさせようとするものである。
そのためにこの本の原語のタイトルは「デカルトの誤り(Descartes’ Error)なのである。
無意識が意識よりも私達の人生を支配している、という考え自体には私も賛成である。
しかし、これはユングの「直感型」「感覚型」「思考型」「感情型」などの性格の類型論とどう結びつけたらいいのか?どう考えても人間は「はっきりと意識して思考」した結果行動に移す場合もある。
おそらく、この疑問には、「身体」「脳」「社会や文化」の占める割合がその時々によって変わるということで説明できるのかもしれないが…。
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第2の疑問。
これは、もっと方法論的な疑問である。
これらを「ソマティックマーカー仮説」を証明するために、著者らは、以下のような実験を行なっている。
前頭葉損傷者と健常者に情緒的な絵を見せ、皮膚伝導反応を調べた。すると、健常者では、自律神経が働いている証拠に皮膚伝導反応が見られたが、前頭葉損傷患者では反応が全くなかった。そのため、「前頭葉損傷者の感情の欠如には脳の機能障害だけでなく自律神経反応の欠如も関係している」というのが要旨である。
しかしである。
たとえば、脳卒中の後遺症の患者さんで運動中枢がやられていれば、それに呼応する麻痺が存在する。つまり、運動機能を測定すれば低下している。つまり、こうした脳の中枢神経−末梢神経というのは、概ね、上流→下流の方向の上流部分が断絶するとそれ以下の部分は無反応であるのが普通なのだ。
これはシンプルだけれど厳然とした事実だ。
リハビリテーションなどの分野でも、末端の刺激により、中枢の機能が回復しないかどうか過去には検討されたこともあったが、現在ではほぼ否定されていると思う。
そう考えていくと、脳の障害で感情が欠如している場合、それに伴う身体反応も欠如していて当たり前なのではないか?という疑問がわくのである。
つまり、どちらが原因なのか結果なのかこれだけでは断定できないような気がする…。
その点が、どうしても私には理解できなかったのである。
しかし、「裸の王様」ではないが、すでに世界的に認められている仮説に、こんなシンプルすぎる疑問を差し挟むことは許されない気がしていた。
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実のところ、「痛み」は人間に抑うつを起こすというのはある程度証明されている。
例えば、私が見聞したデータでは椎間板ヘルニア(ぎっくり腰)の患者さんは、経過の途中で80%の人が抑うつ気分を経験するという。
これは勿論痛みのためだ。
これは誰にも納得いくであろう。
歯痛、頭痛、どんな痛みだって私達の気分を暗くさせるのは誰もが経験済みだと思う。
つまり、そうした意味では、身体感覚は直接的に脳を支配しうる。
つまり、脳にダメージがない状態でなら、末梢からのフィードバックで脳が変わり得るのだ。これは科学的にも証明されている。
しかし、「脳の損傷を受けた人の自律神経反射の欠如」は脳そのものが原因ではないのか?
この仮説全体の、哲学的な部分やコンセプトは納得がいくのだが、それを証明する「実験」の部分には、荒削りなものを感じずにはいられなかったのだ。
ところで、実はここからが本題である。
異様に長い前置きですみません。
今更、何故、この世界的ベストセラーをここで持ち出そうと思ったかというのには実は理由がある。
2004年に、それほど有名でない雑誌に、ドイツの研究者がソマティックマーカー仮説関連で有名な「ギャンブル仮説」に関して、少々著者と異なる見解を載せているのを偶然見つけたからだ。
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ギャンブル仮説とは、こうした実験である。
ABCDの四種類のカードの山がある。
被験者はいずれかのカードをめくるとお金がもらえるが、時には支払いをしなければならないカードがランダムに出現すると説明される。
CまたはDのカードは毎回少額(50ドル)しかもらえないが、「支払い」カードも少額(100ドル以下)で済む。
AまたはBのカードは100ドル必ずもらえるようになっている。その代わりABのカードでは、ときに1250ドルという高額の支払いを被験者に要求する。つまり、手堅いカードと高額カードが存在するわけだ。
勿論、ゲームの最初には被験者にはこれらの事実は知らされていない。
徐々にゲームの過程でこれらを「自分で学ぶ」ようになるという仕組みだ。
そうした実験では、健常人では、最初は高額支払いカードを引いていても、次第に手堅いカードを引いたほうが有利であると判断し、そう行動するようになる。
ところが、前頭葉損傷者(感情が欠如した患者)では、そうした判断はせず、最後まで「高額カード」を引き続ける。
このことから、著者らは、「感情が欠如した患者では、ソマティック・マーカー仮説に基づく直感による正常な判断が出来ない」
と結論付けた。
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しかし、2004年のドイツの論文によると刑務所受刑者のうちのサイコパス(感情が欠如した人)であると診断した者と健常人を、注意力や知能などの他の能力を相関させた上で、このギャンブル実験をした。
その結果、ギャンブルの能力に明らかな違いは認められなかったということなのである。
しかし、サイコパスの中でも注意力の低いものは確かにギャンブルに失敗した。しかし、健常人では注意力が低くても結果に影響はなかった。
かつ、
興味深いことにサイコパスでは「事前の確信」が強かったという。
つまり彼らの方が、健常者より自信家であったのだ。
これらのことより、この論文の著者は
「健常者と感情が欠如した人では思考過程に違いがある」
と結論付けたのである。つまり、身体反応のことは持ち出していない。
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勿論、思考・感情やそれに基づく行動というものを包括的に捉える試みは素晴らしい。
今までばらばらだったそれらの概念を統合しようという極めて知的で斬新な取り組みに、私ごときが難癖をつけようというわけでなはない。
しかし、やはり、大きなものの全体像を捉えるのは、一筋縄にいきそうもない。恐らく感情・身体・思考を統合すること自体は可能なのだと思う。
しかし、そのためには、これ以外の複数の仮説が必要なのではないか?
まるでいたちごっこであるが…。
加えて、実のところ、私は「感情の欠如」と「直感」を結びつけることに基本的に違和感を感じているのだ。色々説明してもらっても…。
更に、この研究は「前頭葉損傷者」を主体に始まっただけに、脳の損傷と解剖学との視点で語られることが多い。その他の神経伝達物質などとの関連など、これから解明される課題は多いであろう。
しかし、私はその点は批判しない(する資格もないが)。
何故なら、多くの人に「偉大な疑問」を投げかけること自体が価値があることだと思うからだ。
それが証明されていようがいまいが、それは大した問題ではない。
ただし、この本の哲学的なコンセプトはすばらしいです。しかし、私はそのジャンルに疎いので、どなたかこの本をその側面から評価できる方はご教示お願いいたします。この書評が面白かった方はここをクリックして人気blogランキングへ投票よろしくおねがいいたします!
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ABCDの四種類のカードの山がある。
被験者はいずれかのカードをめくるとお金がもらえるが、時には支払いをしなければならないカードがランダムに出現すると説明される。
CまたはDのカードは毎回少額(50ドル)しかもらえないが、「支払い」カードも少額(100ドル以下)で済む。
AまたはBのカードは100ドル必ずもらえるようになっている。その代わりABのカードでは、ときに1250ドルという高額の支払いを被験者に要求する。つまり、手堅いカードと高額カードが存在するわけだ。
勿論、ゲームの最初には被験者にはこれらの事実は知らされていない。
徐々にゲームの過程でこれらを「自分で学ぶ」ようになるという仕組みだ。
そうした実験では、健常人では、最初は高額支払いカードを引いていても、次第に手堅いカードを引いたほうが有利であると判断し、そう行動するようになる。
ところが、前頭葉損傷者(感情が欠如した患者)では、そうした判断はせず、最後まで「高額カード」を引き続ける。
このことから、著者らは、「感情が欠如した患者では、ソマティック・マーカー仮説に基づく直感による正常な判断が出来ない」
と結論付けた。
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しかし、2004年のドイツの論文によると刑務所受刑者のうちのサイコパス(感情が欠如した人)であると診断した者と健常人を、注意力や知能などの他の能力を相関させた上で、このギャンブル実験をした。
その結果、ギャンブルの能力に明らかな違いは認められなかったということなのである。
しかし、サイコパスの中でも注意力の低いものは確かにギャンブルに失敗した。しかし、健常人では注意力が低くても結果に影響はなかった。
かつ、
興味深いことにサイコパスでは「事前の確信」が強かったという。
つまり彼らの方が、健常者より自信家であったのだ。
これらのことより、この論文の著者は
「健常者と感情が欠如した人では思考過程に違いがある」
と結論付けたのである。つまり、身体反応のことは持ち出していない。
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勿論、思考・感情やそれに基づく行動というものを包括的に捉える試みは素晴らしい。
今までばらばらだったそれらの概念を統合しようという極めて知的で斬新な取り組みに、私ごときが難癖をつけようというわけでなはない。
しかし、やはり、大きなものの全体像を捉えるのは、一筋縄にいきそうもない。恐らく感情・身体・思考を統合すること自体は可能なのだと思う。
しかし、そのためには、これ以外の複数の仮説が必要なのではないか?
まるでいたちごっこであるが…。
加えて、実のところ、私は「感情の欠如」と「直感」を結びつけることに基本的に違和感を感じているのだ。色々説明してもらっても…。
更に、この研究は「前頭葉損傷者」を主体に始まっただけに、脳の損傷と解剖学との視点で語られることが多い。その他の神経伝達物質などとの関連など、これから解明される課題は多いであろう。
しかし、私はその点は批判しない(する資格もないが)。
何故なら、多くの人に「偉大な疑問」を投げかけること自体が価値があることだと思うからだ。
それが証明されていようがいまいが、それは大した問題ではない。
ただし、この本の哲学的なコンセプトはすばらしいです。しかし、私はそのジャンルに疎いので、どなたかこの本をその側面から評価できる方はご教示お願いいたします。この書評が面白かった方はここをクリックして人気blogランキングへ投票よろしくおねがいいたします!
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コメント
コメント一覧 (4)
本に何が書いてあったかだけじゃなくて、小枝さんがそこから何を見つけたかというのを読むのは面白いね。
この本と、その続編「無意識の脳、自己意識の脳」に関しては、今更私が紹介するような本ではないのですが、いつかレビューというか、ブログのタイトル通り、超極私的に語ってみたいと思っていました。
でも、普通に書くと、何だか研究手法の批判めいたことに終始してしまいそうでした。しかし、綺麗山様の仰るとおり、「?」と思わせてくれるところがこの仮説の最も優れたところなんですよね。後世の人に大きな課題を残してくれるというのは、ある意味本当にすごいことだと思います。
全部受け入れて褒めちぎるか、批判して否定するかの二通りしかない世界は本当に寂しいことだと思います。
お元気ですか?すっかりご無沙汰してしまって恐縮です。
TBありがとうございました。
何だか急に多忙になり、不定期ですが少しづつ更新していきたいと思いますので、コメント&TBお気軽によろしくお願いいたしますね。