時間・愛・記憶の遺伝子を求めて―生物学者シーモア・ベンザーの軌跡

「目覚めと眠りは動物の行動の全てを統制しているのであり、起床と就寝は、それ自体が正真正銘の行動パターンなのである」
           (時間愛記憶の遺伝子を求めて より引用)


 もしある日突然、時間の概念が失われてしまったら、私達の人生は一体どうなるのだろう。
実のところは、私達は「時計」を眺めなくても時間を知ることが出来る。
生物はすべからく、概日(サーカディアン)リズムと呼ばれる、固有の体内時計を体内に有している。

 人間の場合は、それはほぼ24時間に近い。
 睡眠相前進症候群(簡単にいうと極端な早寝早起き)睡眠相後退症候群(極端な夜更かしで、朝は起きられない)などは、このサーカディアンリズムが、24時間からずれているために起こる状態である。
 これは、どのように努力をしても、このようなリズムになってしまう人のことで、学生時代に授業をさぼってずっと部屋にいたら、宵っ張りの朝寝坊になってしまった、などというのはこれらの症候群には相当しない。
 何故なら、正常の人でも、暗闇に閉じ込められ、日光の照射から遮断されてしまうととこのリズムは、大体25時間に延長してしまうからだ。

 しかし、いずれにしろ、人間が何らかの「その人固有のリズム」をもって生活していること、しかもそれは、外部から時間を教えられることがなくても(多少の狂いはあっても)保持されるのだ。

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 私達の行動には、後天的に学んだものと、生得的なものがある。
「時間」は、意外なことに、恐らく生命として私達が保有しているもっとも原始的な生まれつきの能力であるのだ。

 本書の主人公、分子生物学者のシーモア・ベンザーとそのグループは、ショウジョウバエの遺伝子の研究を通じて、この時間の感覚、いわゆる「時計遺伝子」がショウジョウバエの性染色体のうちX染色体上に存在することを発見した。
 そして彼らは、その遺伝子を「period遺伝子」と名付ける。

 ちなみに、この時計遺伝子に関しては、後にベンザー一派のライバル・グループが、ハエの二番染色体に時間の感覚を得るための遺伝子を発見し、「timeless遺伝子」と名付けた。
つまり、時間を調節する遺伝子として、大まかにに言うと、違う染色体上の、二つの系統の遺伝子座が見つかったわけだ。

 「時間を知ることの出来る能力が何になるのだ?」
と思った人は、かなり現代文明に毒されている。
 生物としての私達は、自然の時の流れに自らの行動を同調させないことには生きていけない代物なのだ。

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 ベンザー一派は、時間の概念を知ることは、恐らく私達の生命をつなぐ活動に最も重要な能力のひとつでないかと推論した。
そして、生命が次の世代に受け渡されるための行動である「求愛」もperiod遺伝子と同様に私達に原初から組み込まれているに違いないと確信するに至る。
つまり、「愛は学ぶもの」ではなく、存在するものであるという考え方である。

 これを証明するために、彼らは、多くの雌雄同体を含む、「求愛行動がノーマルでないパターンのハエ」を研究室で作り出し続ける。
 その理由は、ご存知の方も多いと思うが、特定の機能を担う遺伝子の解析をするためには、まず「その機能が脱落したり病的である」個体を必要とするからである。

 その過程で、完全に染色体がXY(つまりオス)であるにもかかわらず、オスのハエを追いかける同性愛の突然変異体の雄バエの一群「フルーティ(のちに子供をつくらないという意味のフルーツレスと改名)」を創り出すことに成功する。

 この遺伝子の研究が他の研究者によってヒトに発展したものが、有名な「ゲイ遺伝子」、つまり、男性同性愛者の遺伝子は、X遺伝子上のXq28 上に存在するのではないか?という研究である。この研究のベースには、男性同性愛者の母親の叔父や従兄弟などには同性愛者が多いのではないか?という過去のデータの蓄積が基盤になっていた。


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 しかし、この研究は、後に「差別的」であるとして激しい議論を巻きおこすきっかけにもなったことを追記しておく。

 確かに、「人間の行動が、遺伝子による」ということは、本当に慎重に取り扱われなければいけないニュースではある。本書の後半部分にもあるが、1960年代から、「これこそが○○病や××という行動の原因遺伝子」として取り上げられた遺伝子の多くがその後の研究で否定される結果に終わっている。

 ベンザー一派は、「求愛」の次は、「記憶」に取り組む。
 私達がモノを覚える能力は、明らかに生得的なものである。
 「覚えた知識」自体は、獲得的なものであるが、モノを覚える能力自体は間違いなく生まれつき保持している固有の能力である。

 ベンザー一派は、「生物が生まれつき保有している能力に関しては、それを支配する遺伝子が見つかるはずである」という確固とした信念に基づいて行動しているのである。

 彼らは、嫌な匂いをさける能力を学習するハエと学習しないハエを系統化した。つまり、「記憶」を保持できるハエと出来ないハエである。
 そして、その研究を通じて、恒久的な記憶に関するスイッチをオン・オフするタンパクを合成する「creb遺伝子」を発見する。
 そして、このcreb遺伝子を、記憶を保持できない=学習能力のないハエに導入したところ、そのハエは記憶を保持出来るハエに変身したのである。

 勿論、これらのセンセーショナルな研究は、即、人間に当てはまるわけではない。
 何故なら、人間の記憶の仕組みはハエほどは単純ではないからだ。

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 それにしても、興味深いのは、ひとりの研究者としてのシーモア・ベンザーの生き方のスタイルである。
 彼は、元々は物理学者であり、6つの特許をとり、その世界でも十分に生きていける能力を保有していた。
 ところが、ある日、シュレーディンガーの著書である「生命とは何か」を読んで触発され、研究分野を物理学から分子生物学に転向するのだ。
 そして、バクテリオファージのrII遺伝子に関する偉大な業績を築く。

 ベンザーは、バクテリオファージの研究の合間に、心理学や行動学、脳といったジャンルの多くの本を読み、「遺伝子そのものではなく、生命の行動全体を解明したい」という思索をするようになる。
 そして、三回目の研究分野の大きな移動を果たすことになる。

 バクテリオファージの研究が完成したとたん、彼は、自分がその領域に完全に興味を失ったことを知り、新しいジャンルに挑戦する決心をするのだ。
 当時(1960−70年代)から、遺伝子の研究はすでに「ショウジョウバエの遺伝学」から、バクテリオファージなどのシャーレの中に移行していた。
 従って、彼の三度目の決心は、ある意味他の研究者にとっては過去への「後退」とも受け取れるものであった。

 ベンザーは、そうした周囲の視線をものともせず、「生物の行動全体を遺伝子を結びつける」という目的のために、忘れ去られようとしていた「ハエ部屋」に戻るのである。
 つまり、個体としてのハエの行動と遺伝子を結びつけることによって
行動遺伝学という新しい領域を切り開こうとしたのである。
 ある意味、すごい勇気だ。
 決して、守りの姿勢に入らないわけである。

 そして、彼がこの新たな「ハエの行動と遺伝子」の分野で始めての論文を書いたのは四十六歳である。
 ベンザーこそが、過去記事人はなぜ老いるのかで紹介した、「生物学的年齢には大きな個体差がある」ということを証明するかのような人物である。
 人はある年齢になると創造性を失うというのは、ある意味、神話に過ぎないのかもしれないのだ。

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「人間の能力の全てが文化によって学習される」ということは、恐らく間違いであろう。
 しかし、ベンザー自身は、彼の研究を通じて、「生き物の個体差の変異の大きさ」を強調している。つまり、生命体は、それぞれが極めてユニークな存在であり、同じものはただのひとつもないということを語っているのだ。
 従って、個別の生命体を全体論的な遺伝学で語ることも、極めて危険であろう。

 つまり、性差や家族歴、その他の全ての「部分的な」遺伝学の知見と、トータルとしての人間には大きな隔たりがあるということだ。
 本書によると、同じ両親から遺伝学的に同じ子供が生まれる確率は、七十兆分の一ということである。つまりは「あり得ない」という意味だ。

 とても単純なことと複雑なことを見分ける知性があってこそ、こうした学問は、私達の生活に恩恵をもたらしてくれるであろうことは間違いがない。

 本書によると、分子生物学者たちの関心は、どんどん心理学に向いているという。
 それはそうだろう。
 究極的には、人間の行動の総体を解明するということが、研究者の夢である。
 そのためには、多くのバックグラウンドを持つ人々が、垣根を越えてひとつのテーマを語りあう機会をもつことが、これまで以上に必要になってくるのだろう。


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