ハーレム―ヴェールに隠された世界

「ハーレム」という言葉を聞いて、人はどのようなイメージをもつだろうか。

 クロード・ブラウンの自叙伝
Manchild in the Promised Land by Claud Brown
  *1960年代のアメリカ。
   マンハッタン北部の黒人居住区「ハーレム」に暮らす青年、
   クロード・ブラウンが綴った衝撃の自叙伝。
   邦訳:ハーレムに生まれて クロード・ブラウン著 サイマル出
      ISBN4-377-20072-0

のような、麻薬と暴力にあふれ、虐げられた人々が押し込められた特定の地域のような、ネガティブなイメージであろうか?
 

 「まるでハーレムだよ。」という表現のような、自分の夢が実現した贅沢な場所を真っ先に思い浮かべる人もいるだろう。
つまりは、「男性がひとりで美女や富を独占しているような恵まれた空間」になぞらえたイメージでこの言葉を捉える人もいるだろう。

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 ハーレムという言葉には、「幸福な場所」という意味と「閉じ込められた不幸な場所」という二重背反的なイメージがある。
 
 ある意味では、「ハーレム」という存在は、ハーレムの支配者と、そこに所属する一員のどちらであるかによって、この世の楽園であるか虐げられた場所であるか、全く違う意味合いをもつ場所であるのかもしれない。

 英語のハーレム(harem)はアラビア語のharamに由来し、「違法の」「庇護された」「禁じられた」という意味をもつ。
 本来は、宗教的な意味をもつ単語であり、イスラム教徒以外の人が侵入を許されないメッカやメディナなどの聖地を指す。

 それが転じて、裕福な貴族や王侯が、自分の妻妾を住まわせておくという場所という意味合いになった。そうした場所は、宦官によって護衛されており、館の主人以外の人物(男性)は訪れることが出来ないからである。
 つまりは、ポリガミー(多重婚)をシステム化した場所としての「ハーレム」である。
 恐らくこれが、現在「ハーレム」という単語のもっとも汎用されている意味合いであろう。
 そこから転じて、ハーレムという言葉は、ある意味隔離された「女の世界」といった意味合いで捉えることも出来るわけである。

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 こうした一角は、ある意味では女性と子供たちにとっては、家の中と外を隔てる安全な場所という見方をされることもあった。
 そうした意味では、ハーレムは「幸福の家」という意味ももつ。
 そこには、ハーレムを所有する男性にとって「天国のような場所である」であるだけでなく、そこに住まう女性にとって安全を確保された場所であるという二重の意味があった。
 
 反面、そこに住まう女たちは、外界との接触を遮断されているわけであり、その生殺与奪の権利は、ハーレムの主人が握っているわけである。
 そうした特定の種類の人々を一定のエリアに閉じ込めるという負の側面から、「ハーレム」は「ゲットー」などの同義語となっている。
 ニューヨークのマンハッタン北側の黒人居住区を「ハーレム」と呼び習わす風習は、そうしたハーレムの抑圧された側面を捉えた呼称であろう。

 ハーレムという言葉に「違法な」という意味があるのは、その存在自体が人権を抑圧する違法な場所であるということと、そうしたいわゆるゲットーが犯罪多発地域になりやすいという二重の意味合いを有していると思われる。

 このように、ハーレムというのは、ある意味では理想郷のような場所であり、別の視点から言うと存在を許されない前近代的な場所なのである。

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 昨日の記事セオリー・オブ・マインドで、
文化は閉鎖した状況で発生する」という記事を書いた。
 これは、繰り返しになるが、「閉鎖された状況が理想的である」という意味ではない。
 そうした環境でも、人間とは何かを生み出す精神の力をもっているということが言いたいだけだ。

 過去の本物の「ハーレム」であるオスマン朝トルコに暮らす女性達は、本当の意味で、物理的に外界から閉ざされた世界の中で生きていた。
 しかし、その彼女達は、現在でも世界の文化に大きな影響を与える華麗でありながら隠微な部分を併せもつ独特の文化を生み出した。

 ハーレムに生きる女たちの生き様は、謀らずも、まさしく文化が生まれるのに最適な環境であったのだ。

「アラビアン・ナイト」のイメージは、彼女達の生み出した文化である。


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 本書は、ビザンチン帝国(1453〜)から、オスマン帝国へと至るイスラム世界スルタンが有する「グランド・ハーレム」の女たちが築き上げた文化的側面について、詳細な報告を記載した本である。
 
 本書の著者のアレヴ・リトル・クルーティエの祖母は、最後の本物のハーレムの住人で一人であった。 
 最後のオスマン朝のスルタンであるアブドゥル・ハミト二世の時代のパシャ(トルコの高位の文官・武官)の妻妾のひとりであったのだ。
 
 ちなみに、1909年、アブドゥル・ハミト二世の退位と共に、ハーレムという機構は、トルコでは法律で禁止されている。

 しかし、著者はそうした文化が色濃く残るパシャの屋敷に生まれ、そうしたオダリスク達と共に幼少期を送る。

 そうした中で伝統的なトルコのハーレムの文化を教えられながら成長した著者は、18歳でアメリカに移民した。
 その15年後にイスタンブールを訪れ、自らの経験や親族からの聞き取り、スルタンの住むトプカプ宮殿のハーレムについて綿密な調査などを複合して著わしたのが本書である。
 
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 彼女たちハーレムの住人である女性達が幸福であったとか不幸であったかという点や、こうしたシステムに関する批判は、今回は脇においておくことにする。

 いかに過去の文化が私達の価値観と異なるからといって、それに対する倫理的な批判は、とりあえず差し控えたいと思うからだ。
 著者自身も、アメリカ文化の中で培ったフェミニズム文化の視点からではなく、あくまでも当時の事実を見据えるという視線を貫いている。

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 彼女達、ハーレムに住む女たちは、オダリスクと総称される。
 オダ(部屋)にいる女という意味合いである。彼女達の全てがスルタンの妻妾であったわけではない。
 彼女たちの出自は、帝国の領土内や、外国から広く買い集められた奴隷であった。
 幼いうちに売買され、ハーレムの中で、裁縫、刺繍、ハープなどの楽器演奏をを始めとするあらゆる教養を教育され、オダリスクとして育てられるのである。

 彼女達の間で広く行なわれていた芸事は、「詩作」であった。
 これは何も、スルタン達を喜ばせる美しい詩歌を創作するためではない。
 ハーレムでの俗世間からの断絶した孤立した生活の苦しみが、彼女達の創造の原動力となったのである。
 こうしたハーレムの女たちの詩歌の才能は、その息子たちによってスルタンの血筋として受け継がれたと考えられている。
 
 本書によると、オスマン朝のスルタンの34人のうち、11人が、詩人として大成しているというのだ。スルタンは彼女たちをある意味「支配」していたのかもしれないが、彼女達の命は密やかに受け継がれ続けたのである。

 彼女達の生活は、「芸術」が生じる母体としては、ある意味理想的な環境であった。
 豊かな教養と恵まれた金銭的環境そこに隠された精神的な抑圧と嘆き
 時間にもお金にも余裕があるのにも関わらず、満たされない心理を抱き続けた彼女達の志向が、芸術活動に向かったのは無理もない。

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 本書には、彼女達の、そうした「芸術的な」側面だけでなく、日常的な側面も多く描かれている。
 どのようにしてヘナ(ヘンナ)で髪を染めるか、どのような化粧をするか。
 それから、おいしい「トルコ・コーヒー」の淹れ方のレシピなど。

 このトルココーヒーは、コーヒーの粉に、フィルターを通してお湯を注ぐ私達のやり方とは少々異なる。
 長い絵のついたジェズベと呼ばれる鍋に、砂糖とコーヒーの粉とお湯を入れて細かい泡がたつように煮立てるのである。
 ハーレムの女性達は、当然ながら「料理」はしない。それは専門の料理人の仕事であった。

 しかし、トルコの女性にとって、おいしいコーヒーを淹れられることは、大変重要な技能であった。
 それで妻としての評価が決まるからだ。
 著者自身も、トルコのパシャの屋敷に住んでいた9歳の頃から、上手なコーヒーの淹れ方を仕込まれたとのことである。

 ちなみに、本書には、華麗な衣装に身を包んだ、本物のハーレムの女たちの写真が数多く図版として採用されている。かなりの貴重な資料であるので、興味のある方は、是非ご覧いただきたいと思う。

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 スルタンの屋敷のオダリスク達は、高い教養も相まって、オスマン帝国の政治に深く関わっていた。この女の「口出し」がオスマン帝国の滅亡に一役かったというのだ。
 しかし、そのことと、現代において「政治に女は口出しするな」ということはまた別問題であろう。
 むしろ、自分の愛妾の言うがままに行動した統治者の側の、公私混同した心理に目を向けるべき問題なのかもしれない。

 何しろ、彼女達の高い教養というのは、技芸に関すること、コーヒーを淹れることなどに限られていた。
 それ以外に彼女たちが余暇にすることというのは、プールでの水浴や「鬼ごっこ」といった子供のするような遊びだったのだ。
 彼女たちは、大人ではあったが、今日的な意味での「大人」としての素養は身につけていなかったのである。

 ある意味ではまさしく彼女たちは「守られた存在」であるとともに、「隔離された存在」であり、適正な判断力を持つに至る教育を得る機会は失われていたのである。

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 ともかく、こうしたハーレムという存在の神秘性は西洋社会を魅了した。
 18世紀のパリには、トルコ趣味が席巻し、それ以降の世紀にもその影響は長く受け継がれた。
 トルコ風の衣装、トルコ趣味の家具が置かれた上流家庭の邸宅などがそれ以降多く観られるようになる。
 こうした風俗は、長い間閉じた社会に生きた女たちが、その世界の中で熟成させ受け継いできた独自の文化であった。
 そうした特異性が、独特の個性として西洋の人々の目を見張らせたのである。

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 そのイメージは、西洋の画家に、持続的にインスピレーションを与えている。
 そうした中で、描かれたのが、アングルの「グランド・オダリスク(1814年)」やエドゥワール・マネの「オランピア(1863年)」である。
 これらの絵画はハーレムとパリの文化を彩るクルチザンヌ(高級娼婦)のイメージを重ねあわさたイメージを鑑賞者に与えるものであったと思う。 

高級娼婦リアーヌ・ド・プージィ
 
 この傾向は20世紀になっても続き、アンリ・マチスは「赤いズボンのオダリスク(1922年)」「オダリスクとマグノリアの花(1923年)」を始めとする作品を残している。
 本書には、1928年ごろに、オダリスクの衣装に身を包んだモデルのスケッチをする極めて珍しいマチスの写真が収蔵されている。

 音楽の上でも、モーツァルトの「後宮からの逃走」、ベートーベンの「トルコ行進曲」(モーツァルトのピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 K.331の第三楽章も同名)、コルサコフの「シェラザード」など枚挙にいとまがない。

 「千夜一夜物語」のイメージは、現代に至るまで、数多くの映画や文学に影響を与えていることは言うまでもない。

 「ハーレム」の文化は、華麗なイメージに彩られ、永遠に私達の文化の中に芸術として取り入れられ続けているのだ。
 
 「ハーレム」で女性達が作り上げた文化は、閉ざされているがゆえに独特の個性をもった。
 それが他の地域に伝わり、そのエッセンスが取り入れられたのだ。


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 ハーレムの文化は、こうした洗練された形で西洋社会にエッセンスとして取り入れられて以降は、次第にその陰性な部分は失われ、「楽園」といった陽性なイメージが中心となった。

 ディズニーのアニメーション
アラジンにハーレムの女性の悲哀に満ちたイメージは当然ながら存在しない。
 世界中の文化をポップ・アートに変えてしまう、「陽性さ」を良しとするアメリカ文化を端的に示している変質ぶりだ。

 いずれにしろ、文化は、普及した時点でその原点となる毒や悲哀といった要素を失うのである。
 洗練される場合もあれば、矮小化される場合もある。
 これは、あらゆる文化の伝播の宿命なのかもしれない。

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 現代では、ハーレムという言葉がもつネガティブなイメージは、アメリカの人種差別という別のモチーフに転化され存在し続けている。
 
 ブラック・アメリカンが形成した文化は、ジャズやブルースといった音楽を生んだ。それは、ハーレムの女たちが詠んだ詩歌と同じ苦しみというモチベーションに基づいて発生したものである。
 閉じた空間に生まれた文化なのである。
 しかし現代では、これらは一つの様式であり、決してマイナーな存在ではなく世界中の人々を魅了している。
(しかしアメリカの一般的な白人層はいまだにジャズやブルースをあまり好まない印象がある。これは私だけがもつ感想ではないようだ)

 しかし、私達がクロード・ブラウンの小説からイメージするような、古典的なアメリカのニューヨーク・シティの北側の地域である悲劇に満ちた「ハーレム」のイメージは、もはや実情を必ずしも反映していない。
 実際のところ、特殊な地域を除き、普通に生活できるエリアも多い。
 もはや、マンハッタン北部居住区のもつ「ハーレム」のイメージも、「アラビアン・ナイト」のように、過去のイメージによる「伝説」の部分が大きくなりつつあるのかもしれない。

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 これからも、どのように公平と平等を目指した社会にも、このようなある種の苦しみは存在し続けるだろう。
 勿論のこと、それらを放置して構わないわけではない。

 私達は、そのような社会の勾配に屈せずに生まれた、人間の豊かな精神の産物である「文化」には敬意を払っている。
 願わくは、文化を享受する以上は、それを生み出した人々にも同様の敬意を払うことを願うばかりである。


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