なぜ美人ばかりが得をするのか

   美にまつわるダブルスタンダード

 1994年の科学雑誌「ネーチャー」のうちの一冊の表紙は、
「顔」の写真で埋め尽くされている。
 「ついに絶対的な美が発見された」というわけだ。
 
 顔の対称性こそが美の要素であり、人間の異性の選択、すなわち進化の過程に重要な影響を与えているというわけである。
 ある意味、衝撃的である。
  参考文献
  Symmetry, beauty and evolution.
  Nature. 1994 Nov 10;372(6502):169-72.

 これに加えて、様々な顔の突出した特徴を取り除いた「平均顔」こそが美しいとされる理論も存在する。
 しかし、勿論、「美」は単一のファクターでは成り立たない。
 
 形態学的な美への認識という観点だけを捉えても、単一の要素では成り立たない。
 ただひとつの「対称性」という要素に限っても、「本当の美はそうしたものを崩した個性にこそ存在する」という反対意見もある。
   
   上記に反論する文献
  ”対称性は必ずしも容貌の美しさと一致するとは限らない”
   Asymmetry and human facial attractiveness:
   symmetry may not always be beautiful.
   Proc R Soc Lond B Biol Sci. 1995 Jul 22;261(1360):111-6.

 恐らく、これらの二つの意見は両方とも真実であろう。
 人が何かに魅力を感じる動機そのものに、様々な理由が隠されているからである。
 恋愛というだけを考えても、継続的な関係を望むのか、瞬間的にインパクトを得ただけなのかによって、求める美の種類が違うのだ。
 道具であっても、「ずっと使う日用品」とたまに訪れる場所にあるオブジェでは、求める美の種類が違う。

 感情の部分に働きかける部分での美というのは、こうした「絶対的な形態学」と「経験」が複雑に相まって生じる、複雑な心の理論であるからである。
 「感じる美」と「思考する美」、言い換えると「無意識の美」対「意識される美」という観点で捉えるべき性質のものなのかもしれない。

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 前振りが長くなってしまったが、
本書のタイトルは、「なぜ美人ばかりがなぜ得をするのか」である。
 しかし、本書全体を通読すると、
美人が得か損であるかは一概に言えない
 もしくは、
なぜ美人ばかりが損をするのか」ということが言いたいようにも思える。

 人間は美に魅きつけられる根源的な心理がある。
 これは恋愛や同性間の友情といった人間同士の関係だけではない。
 私達は芸術を好み、日常生活にですら美しいフォルムの生活用品を選ぶ。
 日常を美で満たしたい、というのはあらゆる人にとって根源的な欲求であるように思う。

 「美」というものはもともとが「価値があるもの」を見分けるための判断基準であった。
 本書に書かれているような、
「美しい異性を求めるということには、相手の繁殖能力を値踏みするという隠された意味がある」
という理論は、様々なエッセイなどで、もはや広く浸透しているように思われる。
 
 「美」を求める心はこうした根源的な欲求に基づくもの以外にも、
美しい果物は腐敗していない


「感覚」の博物誌*過去記事スミレの花咲く頃に思い出す愛でもご紹介

美しい道具は壊れておらず使いやすい
 
 過去記事誰のためのデザイン?
 
 といった、人間の安全を求める心理にも深く関わっているのかもしれないと思う。
 心地よさとは人間の生存に関わる感覚なのだ。

 
ネオテニー―新しい人間進化論
 「シンメトリー」「ネオテニー」「平均顔」などのキーワードでくくられるような、普遍的で形態学的な美は確かに存在する。
 それらは、「若さ」ひいては、「健康」「繁殖力」の指標であるというわけである。

 参考文献
 ”顔における『平均顔』および対称性は健康の指標であるか?”
 Do facial averageness and symmetry signal health?
 Evol Hum Behav. 2001 Jan;22(1):31-46.

 しかし、それだけではなく、多くの人にとって、「実際に好きになる異性」とは家族や自分に似た顔であるという側面もあるという(同類交配)。
 自分に似た外見を有する人々は、私達に安心をもたらす存在である。
 これもひとつの美の形であろう。

  
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 「美」を容姿ということに限定して考えると、一般には、個人レベルの恋愛や結婚などでは、容姿は圧倒的に有利に働く。
 
 しかし、「社会生活」という側面からは、「美しい容姿」というのは必ずしも成功を意味しない。実際なところ、普通は「勝ち組」と見なされている「容姿が魅力的な人」には、社会的な落とし穴があるのだ。

 これは、「美に魅きつけられる心」ということが、「物事の表面だけを捉える」「性的な意味合いを重視過ぎている」などの負の側面から捉えられてきたことの反動である。
 本書によると「美」というものは、長いこと社会科学の分野では無価値だと思われ、調査する価値もないものだと思われてきたという。

 確かに、例えばであるが、一般に「美人が好きだ」とあまりにもはっきり公言する男性は、「人間の内面を評価していない」と非難されがちである。

 しかし、このように「美しい容姿」を社会的に無価値化しようとするあらゆる試みに反して、「美容」「フィットネス」などの容姿を向上させるための産業は現代の巨大産業になっており、人々はいまや莫大な金額をそれらに投じている。

 「美を罪悪視する」という観点と、「過剰なまでに美を求める現代の美容産業」というのはまさしく人間の相反する心理を露呈している。
 何故、人間は「美しい」容姿に対して、このように二重規律的な複雑な心理を抱くのであろうか。

 ある意味、美にまつわる問題を語る上で、「社会科学的に」真に考えなくてはいけないことは、美を無価値化させようとする抑圧的な規制を取り払うことなのかもしれない。
 その上で、私達の「美」に対するこうしたアンビバレンツな心理を明確に解き明かすべきなのかもしれない。

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 本書に記載されている記事を列挙するまでもなく、男女共に、パートナーの選択には「美」という要素は極めて重要な要素である。
 この美というのは、私達が一般に思っている美しさと少々違い、体の対称性などの、普通の人にとっては、そう言われても「心当たりがない」要素ではある。
 美の認知というのは、ある意味「無意識の脳」で行なわれている。
 だからこそ、人間は異性の「見た目」に圧倒的に魅惑されるように出来ている。
 無意識の脳 意識の脳―身体と情動と感情の神秘

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 ところが、こうした「美しい容姿」に基づく、異性をひきつけるという視点からの個人レベルの「成功」は、必ずしも社会的な成功を意味しない。

 一般に、見かけが良く身長の高いということは、男性にとっては、同性の間で支配的な地位を確立する上でとても重要であるという。しかし、それらの「支配的な」容姿の男性が能力的に劣っている場合は、普通の男性以上に、必要以上に厳しく評価されるという。
 人間にとって「期待を裏切られた」という思いは、より大きな落胆を生じさせるためだ。
 実際のところ、実社会で成功しているのは、いわゆる「美丈夫」の男性ばかりではない、これらの複雑な要素が相まって成功不成功が決まるためなのだろう。

 こうした複雑さは、女性の人生にも大きな影響を及ぼす。
 多くの場合、容姿が魅力的な女性は、「頭が悪い」「ずるい」などの負の側面をもっていると勘ぐられる傾向にある。
 美というのは、女性にとっては特に、「内面が優れていない」指標として受け止められがちなのだ。
 過去記事 BLONDES<記号としての女性を楽しむ女達とは?>

 こうした美人の社会的な負のイメージは、「同性間で足の引っ張り合い」だけでなく、異性からの評価にも影を落とす。
 むしろ、「美しい女性」というのは同性の憧れという高評価を受ける場合もある。

 本書によると、女性の場合は容姿の良い女性は、必ずしも社会的に成功するとは、限らないという。
 就職などでは有利な場合もあるが、「見かけの良い女性は、法律事務所の経堂経営者になりにくく、管理職に就きにくい」傾向があると思う。

 一般に美人には「すっぱいブドウ」の心理が働き、必要以上に知性や能力を過小評価されたりする傾向があるようだ。また、「容姿を武器にした」などのモラル面での疑いをもたれやすいという側面もあるだろう。
 もちろん、一般レベルではない「スーパーモデル」のような職業であれば、「美」は圧倒的な価値があることには間違いがない。

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 実のところをいうと、「パートナーの選択」の面でも、多くの人は
「魅力的だけれど不誠実な異性」「魅力的でないけれど誠実な異性」のどちらを選択するかというジレンマに満ちた選択を迫られている。

 ここには「魅力的で誠実な異性」「魅力的でなく、しかも不誠実な異性」などが存在するという思考は、すっぽりと抜け落ちている。
 やはり人間というのは、「魅力的である」容姿に対して、「何か裏があるのではないか」という詐欺師を疑うような心理がどこかに働いてしまうもののようだ。

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 個人的には、あらゆる美に対しては懐疑的であるよりは素直でありたいと思う。
 その方が人生は豊かになるように思うからだ。
 過去には「美」を容認するということは、ある意味では、人間の内面的な美徳を否定する行為であるように考えられ、忌み嫌われてきた

 美を愛する行為は、どちらかというと後ろめたい行為だと考えられてきた側面がある。
 その反面、現実の世界では、確かに過剰なまでに、空虚な外見にこだわる態度がみられる。
 現代は、こうした美にまつわる「本音と建前」の解離が最高潮に達した時代であるようにも思う。

 私達の心の中にある、素朴な「美を愛する心」はどこにいったのであろうか?
 私見であるが、内面を伴わない空虚な美というものには、自然に、人間は魅きつけられないように出来ている部分もあるように感じてしまう。

 人間がどのようなものを「美」と感じるかについては、多くの研究がなされるようになってきた。
 それが更に発展して、そうした形態学的な認識の側面だけでなく、「感情に作用する美」の更に複雑な点についても、今後はより多くのことが知られるようになると良いと思う。
 そうした、より高度な「美」の認知機構を解き明かす方が、美の完全否定よりは楽しい作業であるように思えてならない。



顔の本
 こちらの本はイギリスで以前にベスト・セラーになった「The Naked Face」の邦訳版です。
 「現実を知る」ために役に立つ本。 
 一部には行動学的な視点も取り上げられていますが、科学的な本ではなく、いわゆる顔相学の本ですので、鵜呑みにするのは禁物です。
 しかし、この本を読むことで恐らく、「こうした容姿の人は社会的にはこのように分類される」という、思い込みの部分を的確に判断することが出来ると思います。
 まず、私達が「顔」「美」を知らず知らずのうちにどのように認知するのかを知ることは、それが非科学的であろうとなかろうと、役に立つかもしれません。
 その上で、その「理由」が誤解であるのだとすれば、何故そのような誤った認知が生じるかを知ることは、興味深いと思われます。
 認知していること自体を否定したのでは、何も始まらないようにも思えます。
 
男はみんな女が嫌い
 *こちらもご参考までに。
 何だか、読んでいるうちに多少後ろ向きな気分になる本ですが…。

 過去記事:
人間にとって顔とは何か―心理学からみた容貌の影響


顔を読む―顔学への招待


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