イヴの七人の娘たち
   
閉じ込められた遺伝子〜封印された遺伝子は母由来〜

 「面白いサイエンス・ノンフィクションはないですか?」と誰かに聞かれた時、まず第一にお勧めするのがこの書籍である。
 こうしたことに全く興味がなかった方にご紹介した時も、「とても面白くて他の人にも紹介しましたよ。」とおっしゃっていただけた。
 なのに、この本を紹介するのをすっかり忘れていた。

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 「人類の進化」という壮大なテーマの物語性と、「自分のルーツを知る」という人間の根源的欲求にぴったりフィットしている点が誰をも夢中にさせる点が、お勧めその,陵由である。
 次に、文章が極めて平易で読みやすく丁寧に書かれているため、この分野をあらかじめ勉強していなくても、きちんと理解出来るように書かれている点もお勧めのポイントである。
 「サイエンス・ノンフィクションは、こうでなくてはいけない」というある意味、お手本のような本だ。

面白いサイエンス・ノンフィクションとはどのようなものであろうか。
 1.科学的事実が正確である
 2.その正確な事実を分かりやすく説明している
 3.それを満たした上で、相手の興味をひくようなストーリー性をもたせている。

 そうしたものは、あるようで中々ないが、本書は全てを満たしている。

「これは難しい研究だから、皆が分からないのは当然である(確かにそういう場合もあるが)」というのはあまりにも傲慢である。
 人間には、相互理解が大切だ。
 相手が理解してくれない時は、書いた内容が難解すぎるためではなく、「自らの筆力と理解度をまず反省したほうが良い」と思わせてくれる見本のような本である。

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 本書は、人類の起源は「20万年前のアフリカを起源とする一人の女性である『ミトコンドリア・イブ』に集約される」という知見をもとに、そこから「いつどこで」現代の人類の進化のツリーが分化したのかという研究を総括した本である。

 普通、「DNA」というときは、細胞核に存在する「染色体DNA」のことをさす。これが私達の遺伝情報を伝えるDNAだ。これに対し、ミトコンドリアDNAは、いわゆる普通に使われているDNAとは異なる独自の機能を有し、異なる場所に存在し、独自の遺伝形式で遺伝する。
 ミトコンドリアの遺伝子は、通常の染色体遺伝子と異なり、父母の両方からではなく、母親のみに由来するのだ。従って、純粋な形で母から子へと伝えらられる。

 ミトコンドリアDNAは、細胞内のミトコンドリアの中に「封印された」遺伝子である。
 その働きは、先に述べたように、通常の私達の顔かたちや性質をいわゆる「遺伝情報」を伝える染色体遺伝子(いわゆるDNA)とは異なる
 主に酸素の利用に関わっているが、特殊な遺伝性疾患の場合を除いて、通常は私達はその存在を知ることもない。
 ミトコンドリアそのものは、古代の微生物が人間の細胞に感染(トランスフェクション)し、そのまままるで寄生虫のように人間の細胞と共生する器官である可能性があるいわれている。
 丁度、遺伝子組み換えに使う「バクテリオファージ」のような存在だ。
 しかし、ミトコンドリアDNAは、細胞核内の染色体に自分の遺伝情報を伝えることには「失敗」しており、細胞の小器官であるミトコンドリア内に閉じ込められ。

 しかも、一定の頻度で「突然変異」を起こす。従って、その「突然変異」を起こしたミトコンドリア遺伝子をもつ女性以降の彼女の子孫は、全員が同じ変異をもつミトコンドリア遺伝子を細胞内に有する。
 従って、誰か二人以上の人物のミトコンドリア遺伝子を調べて、それが同じ変異をもつ種類のものだったとしたら、彼(女)達は、同じ女性を共通の祖先にもつということになるわけだ。

 その調査を、著者らが全ヨーロッパ更には世界中で行なったところ、その結果、人類の共通の祖先は思ったよりとても少なかった。

 母系遺伝の観点からいうと、現代のヨーロッパ人の祖先は、たった七人の女性に集約されたのだ。
 この衝撃的な結果は、大きな社会的反響を呼び、
「自分のミトコンドリア・イヴを知りたい」という人のために、商業ベースの診断も行なわれている。
oxfordancestors.com

 
 科学をロマンにする試みは、時には過ちを広める危険行為である。
 しかし、やはり、超一流の研究者の方には、こうしたロマンを「正しく」伝える努力をお願いしたいと思う。
 それこそが、「いい加減な過ちや思い込み」が世に流布しないための、大切なポイントとなることは間違いがない。


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 解説

ミトコンドリアDNA
  *細胞の細胞質に存在する、細胞内小器官である
  ミトコンドリア内のDNA 。
  *1万6千500塩基のきわめて短い環状DNA(⇔染色体DNAは30億塩基)
  *遺伝情報を伝える細胞核内のDNAと異なり、いわゆる遺伝情報を伝える
  わけではない。
  *人間の細胞の酸素利用を高める機能をもつ
  (酸素をつかまえる酵素を作り出す遺伝子情報が含まれ、
  エネルギーATP産生に関わる)
  *母親のみから受け継がれる
  *染色体DNAに比べて、突然変異の頻度が高いため、
   ミトコンドリアDNAは細胞核DNAに比べて
   「分子時計」の進み具合が早い。
 

D-ループ 
  *ミトコンドリアDNA内の突然変異が特に集積している、
   500塩基から成る部分。
  *この部位を調べることにより、ミトコンドリアDNAに含まれた
   分子時計の進み具合の情報が分かる
 
  *ミトコンドリアは母親からしか受け継がれないため、
   D−ループ内の変異が同じ人物は、
  同じ女性を母親として共通の祖先
にもつことになる。
  *D−ループ内の変異が起きたと推定される時期により、
   その共通の母がいつの時点で、元のグループから枝分かれしたかを
   判断することが出来る。
  *つまり、D−ループの変異を調べることで、
   ある特定のグループの人類の母が、
   どれほど「新しい母か」ということが分かる。
   
遺伝距離 
  *二つの人物(民族)間の遺伝子の相対的な隔たり。

進化ツリー
  *遺伝距離の隔たりの程度から、それらがどの程度の過去に共通祖先から
   枝分かれしたかを判断し、系統樹に書き表したもの
  *ブライアン・サイクスらは、この進化ツリーを作成するために、
   ミトコンドリアDNAを用いた。
   その理由は、短い時間の間に変異が頻繁におこり、
   適度な間隔で、「いつ」その部族がもとの部族から枝分かれしたか?
   を知ることができるため。(染色体DNAは10億年に一度しか変異を
   起こさないがミトコンドリアDNAは
   その約20倍の速度で変異を起こす)

 
ミトコンドリア・イヴ 
  *人類をD―ループのミトコンドリアDNAの変異の種類で、
   共通の変異をもつクラスターに分け、
   同じ変異をもつグループは共通した一人の母親から派生した
   子孫とみなす考え方

 
   *ヨーロッパ系の人種に関しては、
    それが七つのクラスターに分けられる
   
   *著者らは、その共通する「母親」を年代の古い順から
   アースラ、ジニア、ヘレナ、ヴェルダ、タラ、カトリン、
   ジャスミン
と名づけた。
   
   *現在までのところ世界中で約35の「ミトコンドリア・イヴ」が
    見つかっており、それぞれに固有の名前がつけられている。
   *最初に命名された「七人の娘」を含むこれらの35人のイヴは、
    すべてアフリカを基点とする、ひとりの「ミトコンドリア・イヴ」
    から、年代順に枝分かれ
したものと思われる。

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 この「自分の母親を正確に特定できる」というミトコンドリア遺伝子の性質を利用して、少なくとも、同じ母親由来の子孫であるかを判断することができる。
 本書には、これを利用して行なわれた様々な研究のエピソードも収められている。

 *ロマノフ家の末裔の墓の遺骨から取り出したDNAが、ヨーロッパ王室の母系の親族と比較され、「遺骨が本物であるか」の判定に使われた。
 
 *アルプス山脈で見つかった約5千年前の凍結ミイラである「アイスマン」が現代ヨーロッパ人の先祖であることが分かった。
 
 *現代人には、知られている限りではネアンダルタール人と共通のミトコンドリアDNAをもつ人物はいない。つまり、ネアンダルタール人は絶滅しており、現代人の祖先と交雑していない。
 
 *世界中のゴールデンハムスターのミトコンドリアDNAは単一であり、彼らはただ一匹の母ゴールデンハムスターを共通の先祖にもつ子孫である。


参考文献)*本書には巻末に文献リストがありません。
      そこがちょっとな点です。

Watson E, Forster P, Richards M, Bandelt HJ.
Mitochondrial footprints of human expansions in Africa.
Am J Hum Genet. 1997 Sep;61(3):691-704.

Ayala FJ.
The myth of Eve: molecular biology and human origins.
Science. 1995 Dec 22;270(5244):1930-6.
University of California, Irvine, USA.

Barinaga M.
"African Eve" backers beat a retreat.
Science. 1992 Feb 7;255(5045):686-7.

Ross PE.
All about Eve. Did the mother of us all live less than 200,000 years ago?
Sci Am. 1990 Apr;262(4):22D, 24.

Excoffier L, Langaney A.
Origin and differentiation of human mitochondrial DNA.
Am J Hum Genet. 1989 Jan;44(1):73-85.

 Lewin R.
The unmasking of mitochondrial Eve.
Science. 1987 Oct 2;238(4823):24-6.


アダムの呪い
 男性特有の性染色体であるY遺伝子の変異を用いても、女性由来のミトコンドリア遺伝子と同様の「進化のツリー」を描くことが出来るという書籍。


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