アルジャーノン、チャーリイ、そして私

   「アルジャーノンに花束を」が実話になる日は来るのか?



アルジャーノンに花束をの著者、ダニエル・キイスは本書の終わりの部分で、「ついに私の物語が真実になる日」として、脳の記憶のレセプターを遺伝子操作で増強できる可能性があるという話題をとりあげている。

 この小説をまだお読みでない方のために説明すると、「成人しても幼児と同じ位の知能の持ち主である主人公チャーリーが、脳外科手術によって天才に生まれ変わる」というストーリーである。

 このダニエル・キイスの記述は、以下の“ネーチャー”の科学記事を踏まえて書かれたものである。
 しかし、本書には具体的な科学的事実については、詳細な書き込みはない。
  
 参考文献)
Nature. 1999 Sep 2;401(6748):25-7.
Genetic enhancement of learning and memory in mice.
Tang YP, Shimizu E, Dube GR, Rampon C, Kerchner GA, Zhuo M, Liu G,
Tsien JZ.

 実際に記憶や学習のセプターである”NMDA受容体:NMDA receptor 2B (NR2B)”を人間で増強したとしたら、このように効果が低下するのだろうか?それともしないのか?

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 このネーチャーの記事の要約は以下のようなものだ。

 NMDA receptor 2B (NR2B)は、記憶と学習のスイッチを入れる神経シナプスの受容体である。これを増強することによって、より高い効果で学習能力が得られるというマウスのデータが発表されたのだ。まず、前頭葉のNMDA receptor 2B (NR2B)を過剰に発現させたトランスジェニック・マウス(遺伝子を組み替えたマウス)を作製する。
 それに、10−100ヘルツの電気刺激を与えながら行動課題を与えると、優れた成果をあげたというのだ。
 特筆すべきなのは、このNMDA receptor 2B (NR2B)は記憶や学習の回路の年齢的限界を改善するらしいという点だ(マウスは、性成熟以降は知能が低下する)。
 この結果から、この論文の著者らは、哺乳類において、「遺伝子操作によって、知能や記憶といった、認知や精神機能の改善が見込める可能性があると結論付けたのだ。
 
 
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 実際の「アルジャーノンへ花束を」のように、脳外科手術ではなく、遺伝子操作によって脳の記憶のレセプターの一つの機能を増強させるわけである。
 ということは、手術と異なり、脳を傷付ける恐れがないため、確かにより安全な技術であるように<思える>。

 しかし、脳の神経細胞の持続興奮は、それに続いて起こる急激な抑制効果があるのが普通であるように思う。
 これは私見であるが、「アルジャーノンへ花束を」のチャーリーのように、徐々に賢くなり、再び効果が薄れるという形ではなく、同じ人物の中にジキルとハイドのように「賢い時間」と「愚かな時間」が交替で現れるような反応が出る可能性があるのでは?という気がしてならない。

 つまり、極端に知能のオンオフが激しい人物が出来上がる可能性もありうるのでは、と思うのだ。
 そう考えていくと、少々パターンは異なれど、まさしく「アルジャーノンへ花束を」と同じくらい「悪魔の技術」になりかねない側面がある。

 また、遺伝子操作をした上で、さらに「電気刺激」というマニュプレーションが必要であるという点も現実に即さない点である。
 本書では、「こうした技術は、後30年以内に実用化する」という科学者のコメントを発表しているが、中々どうして、厳しい山がいくつもあるような気がしてならない。

 では、遺伝子操作で受容体そのものを過剰に発現させるのではなく、このNMDA受容体の神経伝達に関する物質を薬剤して投与するという技術なら可能なのだろうか?
 残念ながら、それは不可能と言わざろう得ない。
 


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 実は、NMDA受容体は、大きく分けて三種類ある脳のグルタミン酸受容体のうちのひとつなのである。
 グルタミン酸受容体は、大脳の発達に不可欠である。
 しかし、脳の神経細胞は大量のグルタミン酸に出会うと、壊死を起こしてしまうのだ。
 グルタミン酸は、過量になると神経細胞に毒性をもつようになるのだ。
 
 実際の脳においても、脳卒中その他の脳の血流低下や傷害が起こる病態で、一定の時間が経過すると、大量のグルタミン酸が放出される。
 すると、それによって脳の記憶に関わる海馬の神経細胞がが壊死(死滅してしまうこと)してしまうのだ。
 つまり、血流が途絶えて機能しなくなった脳の働きを補うために、「何とかしよう」と頑張ってグルタミン酸が放出されるためるのが裏目に出て、脳の細胞が死滅してしまうのだ。
 この状態は、様々な病態で起こりうる。

 脳にある一定時間以上の不可逆的ダメージが加わるものであるなら、事故などによる心肺機能停止による低酸素脳症、脳血管障害、低血糖を始めとして、原因はどのようなものでも構わない。
 実のところ脳血管障害(脳卒中)における神経細胞死による後遺症の予防は、いかにしてこのグルタミン酸の過剰放出を防ぐかが鍵になると思われるのだ。
 
 これが慢性に起こったものが、いわゆる「血管性痴呆(認知症)=多発梗塞性痴呆」ではないかと言われている。

 つまり、グルタミン酸自体は記憶や学習に必要なのであるが、過剰になると神経細胞毒として働いてしまうのだ。
 しかも、そのダメージは不可逆的(元に戻らない)細胞の死滅という形で働く。とても薬剤としては利用不可能な代物である。

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 グルタミン酸は、いわゆる「うまみ調味料」の成分である。
 しかし、幸いなことに、経口摂取した「うまみ調味料」は脳にデリバリーされない。

 うまみ調味料の過剰摂取の中毒症状でだるさなどが起こる「チャイニーズ・レストラン・シンドローム」は、グルタミン酸が脳に作用しておこるわけではない。
 血液中のグルタミン酸が、一過性の末梢の血管透過性亢進により、痛み刺激物質が放出されることによる症状である。
 逆に言うとグルタミン酸を含む「うまみ調味料」を食べると賢くなるというのは嘘であり、効果不幸か脳には何の作用もない。
 過剰に摂取すると末梢の血管には毒になり、脳には、不幸中の幸いで、毒にも薬にもならないというわけだ。

 「記憶と学習を増強する」ことへの道の険しさがお分かりいただけると思う。
 
 過去記事レナードの朝に記したように、神経細胞に作用する物質というのは、多かれ少なかれ少量でも過量でも悪さをする運命にさらされているのだ。

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 本書は、不朽の名作
アルジャーノンに花束をの作者の自伝である。
 「医師」と「作家」の両方の夢をかなえたいと願った思春期。
 
 その夢をかなえるための奨学金を目当てに、18歳で軍の商船隊に志願。ところが、一般の船員として採用されたはずが、その船が求めていたものは実はただの船員ではなく「船医」であった。
 そのため、今の時代であれば考えられないことだが、船長の命令により医師免許も持たないのにも関わらず、船医としての任務を果たすことになる。
その任務を終えた後、大学で心理学と精神分析を学び、最終的には教職につく。
 その時に出合った特別学級の生徒の一人の、「僕賢くなりたいんです」という一言が、「アルジャーノンへ花束を」のチャーリー像を生み出すきっかけとなったエピソードが披露される。

 「アルジャーノンへ花束を」出版される過程で多くの出版社に拒絶されるものの、最終的に出版されたとたんに、大ベストセラーになる経緯も紹介している。

 この辺りの「斬新過ぎて受け入れられない」という点は、過去記事ルーカス帝国の興亡―『スター・ウォーズ』知られざる真実と同じである。
 私達は「プロの目は正しい」と常に思っているが、こうした創作作品に関しては、もしかすると旧来の視点が正しい評価の妨げになるのかもしれない。
 それから、もうひとつ。
 内側からの強い表現欲(動機)が優れた創作の原動力になるのだ。
「ウケる」ことを最初から狙いすぎてテクニックに走るだけではやはりダメなのであろう。そうした現実的な技術も、ある程度は大切であるが、「動機」という要素を満たして初めて意味をもってくるのかもしれない。
 

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