会話は、共感がなくても成立する
 
 人工知能(AI:Artificial Intelligence)は人格を作り出すのでしょうか?この問いに対する現在の答えは、「ノー」だと思われますが、限りなく似たものを作り出すことが出来ます。

 まず、試しに彼女と会話してみて下さい。
またとない友達ELIZA(英語表示のみ)。

 彼女は、あなたが言うことなら何でも関心を示し、それに関して問いかけてくれます。あなたが何かを話すと、もっと話すように促してくれます。
 あたかもELIZAはあなたの心に共感を示してくれる、最も親しい友人のように振る舞います。
 しかし、彼女は、単なる巧妙な言語分析のためのプログラムで、何の感情も有していません。

 以下は私が彼女の指示に従って、たった今、適当に入力した会話です。
ELIZA:こんにちは。どうしましたか?
私:話を聞いて欲しいのですが
ELIZA:続けてください
私:今日は一日中とても忙しかったです。
ELIZA:何故忙しかったのですか?
私:実は、○○という事情があって…。
ELIZA:続けてください
私:そこに△△という問題があるのです。
ELIZA:△△についてもっと話してください。
 以下同様。
 
 いかがでしょうか?
 ELIZA ほど、こちらの気持ちを分かってくれる友人はないようにさえ感じまられるほどです。

 しかし、繰り返しますが、「彼女」のやっていることは、
 〇簔の入力したセンテンスからキーワードを抜き取って、それに対して説明を求める
 △修譴不可能な時は、とにかくもっと話をするように促す
 その二つの単純な繰り返しです。
 つまり、単なるオウム返しです。

 そうであるにも関わらず、そこらの「話を聞いていくれない恋人、夫(妻)、知人etc.」よりも余程誠実な人物に思えます。
 実のところ、ELIZAと話をした人の全てが、彼女がまたとない自分の共感者であると感じ、もっと会話をしたいと望むということなのです。


最新人気blogランキング!
 先日紹介した、アルジャーノン、チャーリィ、そして私の中で、ダニエル・キイスにとっては、こうした手法に基づく精神分析療法が性に合わず、そのため、彼は、教師である分析医の注意をことごとく破っていたというエピソードを披露しています。
 「カウチに寝かせられて、もっと話をするように促される」ことにどんな意味があるのか分からなかったと語っているのです。
 
 彼は、学生として授業の一環としてこの療法を受けいていたわけなので、全くの不良学生というわけです。
 映画
恋に落ちたシェイクスピア では、シェークスピアがカウチに座って占い師から話を聞いてもらう、こうした精神分析のパロディシーンが出てきます。

 決め台詞は、
「この話は今度更に深めてみよう」です。
 そうしたコマーシャル関係でないと自らをさらけだせないアメリカ人と、そうした心理に便乗した、表面だけをなぞった商業主義的な精神分析療法を風刺しているわけです。
 アメリカ人はオープン・マインドに見えて、当たり障りのない会話しかしない側面があります。他民族国家で「個」を尊重する文化の中では、本音はご法度だからなのでしょう。

 勿論、「本物」のこうした手法は素晴らしいものですが、それを見かけだけ模倣したものは全く異なったものになってしまうという意味です。
 共感性に満ちた会話というのは巧妙に模倣することが出来るのです。

  *************************

 共感とは、本来は相手の苦悩に関心を示し、他人に慰めを与えることが出来る能力です。そうした与える能力だけでなく、他人からの慰めを受け入れることが出来るのも、共感性の一部です。
 どちらが欠如していても、相互理解というものは成り立ちません。

 この共感には、「その時の自分の心の状態が相手とは異なったとしても、相手が何を考えているかを知る能力」が必要です。
 簡単にいえば、相手の立場に立つことが出来る能力です。

 実のところは、こうした高次の感情が存在しなくても、先ほどのELIZAのように、相手に共感を示している振りをすることは出来るのです。
 特に、商業主義的な会話では、相手を否定するような言動は禁物ですので、まさしくELIZAのような「空虚な」会話の方が都合が良いわけです。
 しかし、それは実のところは相互理解という観点からははるかに遠ざかっています。

 私達は、世界を快適にしようとして、物事をこうした表層的な理解で捉えてはいけないのです。
 通じ合う、ということは必ずしも会話の心地よさとは一致しません。
 勿論、相手に何でもかんでもたてつく物言いというのも別の意味で共感性の欠如ですが…。

 しかし、快適性だけを求めると、何も通じ合っていないのに分かり合っているという誤解が生じてしまうのです。社会を潤滑にするはずの上手な「会話の」テクニックが人間関係を希薄にしてしまうのです。

  ****************************

 相手の心に土足で不用意に踏み込むのは、別の意味での共感性の欠如です。何でも「歯に衣着せぬ」物言いが良いわけではありません。
 だからとって、それを避けるために、人間関係を形式にあてはまることで処理しようとすることは、私達の心に大きなストレスをもたらします。
 
 極端から極端に走ろうとすること自体が、精神性の未熟の象徴であるのです。私達は本来は、そうしたことのバランス感覚をとることの出来る、繊細な感性を有しているはずなのです。

 ****************************

 現代人は互いに疑心暗鬼になっています。
「ELIZA」のような、そつのない会話で人間関係をある型にはめようとしてしまいがちなのです。
 しかし、それはある意味、真の相互理解や共感の拒絶なのかもしれません


 現代人の最大の問題は、バーチャルで表層的な人間関係を最も心地良く感じるという点にあるのかもしれません。
 世の中には、色々な意味で「お金で買った」人間関係の方が快適であり、より自分をさらけ出せると感じる人さえ存在します。
 何故なら、そこには「拒否」というものが存在しないからです。
 そこには、「極度に支配的な心理」と「極度に自己嫌悪的な心理」がないまぜになった、ゆがんだ気持ちが内在していることは間違いがなさそうです。

  “ELIZA”を扱った書籍
 
Small World
 邦訳:「小さな世界」デヴィッド・ロッジ著 白水社
 現在絶版です。図書館等には置いてあります。


自閉症の謎を解き明かす ウタ・フリス著
 古典的名著。
 このジャンルに関わる人が最初に読むべき本なので、ご存知の方も多いと存じます。
自閉症の謎を解き明かすの中で、フリス博士がELIZAと会話した記録も、これとほぼ同様の内容です。
 ELIZAは相手の発言を最大に尊重するように「思える」ようにプログラムされているのです。

  *今回のエッセイは、あくまで一般の人の心理を取り上げて
  おりますので、誤解のないようにお願いいたします。


この書評が面白かった方はここをクリックして人気blogランキングへ投票よろしくおねがいいたします!


元祖ブログランキング ほかのブログも見てみたい!