シンメトリーの発見
エッシャーの宇宙

 完全に均衡の取れた世界というのは、誰の目にも心地よい
 調和というのは、私達の心に平和をもたらす。

 生物の体は、機能面はともかく、わずかな差違を除いては、視覚的に心地よい調和の世界で成り立っている。
 
 すなわち、「対称(シンメトリー)」な世界だ。
 生物の体は、進化の歴史上、放射状のシンメトリ−(つまり球体に近い形)から、次第に左右対称の世界に移行する。
 細菌などの微生物は、ほぼ球体に近い形をしているが、我々の身体は線対称の形態を成している。
 すなわち、内臓の部分を除けば、体の正中で折り紙のように折ると<ほぼ>ぴったり重なるのが、ある程度のレベル以上の生物の身体なのである。

 逆にいうと、シンメトリーが私達にとって心地よいのは、それが生物の身体を模したものであるからだ。

 興味深いことは、放射状から左右対称へというシンメトリーの形態の移行が、機能面の左右分化と連動して起こっている。

 完全なシンメトリーの世界を体現する絵画技術を開発したエッシャーが、自然科学者の驚嘆を受けたのは、彼がこの自然の法則を絵画に体現したからに他ならない。

 ところが、「完全なる調和」を目指したはずのエッシャーの絵を何枚も眺めていると、多くの人は(少なくとも私は)何となく居心地が悪い感情に捉われてくる。
 
 これは恐らく「何の感情も惹起されない」ということに対するある種の心地悪さなのであろう。


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 タイルの敷石や、壁の模様であれば、こうした連続性と対称性は、風景の中に溶け込み、私達の意識には認識されない。
 
 ところがひとたび、自然の第一原則である「対称性」を目の前に突きつけられると、いつもは認識していない「当たり前さ」が意識に上ったことによる不思議な感慨が湧いてくるのだ。

 これはあたかも、毎日一緒に暮らしている家族が、突然他人のような分析対象として意識にのぼってきたのと同じ居心地悪さなのだ。

 私達の思考には、潜在化しておくべき部分と、顕在化しても構わない部分というのが明らかに存在するのだ。
 
 「日常性」というのは、私達の心の安定にとっての核となる、いわゆる意識の土台の部分である。
 その部分にとっての深い思考というのは、人間にとって、ある種の言い知れない精神的疲労をもたらす

 エッシャーの世界完全な調和と対称を表現しながら、一種の神秘性と不安定さを秘めているのは、私達の意識にとっての日常を非日常の世界=芸術の世界に引っ張り上げてしまっているためである。

 ためしに外にでて、一匹の虫(てんとう虫でもかぶと虫でも蝶でもハエでも何でも構わない)を眺めてみよう。
 エッシャーの絵画と同じシンメトリーによる均衡がそこにあるが、虫が飛び去ってしまえば私達の心には何も残らない。

 私達の心の平和は、普段意識にものぼらない安定した日常によって支えられているのだ。
 そのことを決して忘れてはいけない。

 不均衡は均衡が存在するからこそ、注目に値する。
 不協和音は、和音が存在するからこそ新鮮である。
 
 すべての「突出した個性」は調和があってこそ価値があるのである。


 
左と右の心理学―からだの左右と心理  
 
 非対称(左右差)の研究は、シンメトリーの発見から始まった
 そういう副題をつけたくなる本です。

 かなり古い本なので、やや冗長な記述が気になる点です。
 いまやもっと分かりやすいテキストが多く出ていますが、それでも読む価値があると思う本です。

 その理由は、科学が一足飛びに正解を得てはいないという厳然とした事実を知ることが出来る点にあります。

 この本で一番面白いのは、過去の認知科学者が、どのような間違いと正解を繰り返しながら研究を繰り返してきたかという歴史的経緯です。
 過去の時代には、左右の脳には視覚情報が「鏡像」として反転して認知されているという誤った考えがもたれていた時代もあったのです。

 「L型のアミノ酸は味がしないが、D型のアミノ酸は甘い」など、化学的に鏡像である異性体の味が違うことから、人間の脳まで、左右の違いとは何を意味するのであるか?という古典的な経緯を綴った本です。
 ここでいう「心理学」とは一般にいう「人の気持ち」ではなく、いわゆる神経心理学=大脳の高次機能面での認知の問題を扱っています。



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