年代別エピソードで描く 天才たちの私生活

 アスリートの人生のピークは、年齢がごく若いうちにやってくる。
 勿論、競技にもよるだろう。
 野球選手などであれば、30代位でも活躍しているが、体操選手やスケート選手などであると、10代から20代前半までに競技人生のピークが来る。
 そうした競技を選んだアスリート達は、一般の人であれば、まだ学生時代を終えるか終えないかのうちに、第一の人生に別れを告げなければならなくなる。
 
 かつては、人生の前半にピークがやってくるというのは、こうした職業の人のみに限られた事実であった。
 ところが、現代においては、突然「一億総アスリート」にでもなったかのように、人生の前半にピークを置こうとする風潮が浸透しようとしている。
 恐らくこれは、「修行時代は我慢せよ」「大きな成果は後で」ということを長年強いてきた反動形成なのであろうとは思う。
 しかしこれが行き過ぎると、恐らく価値ある人々にまで退場を求める風潮が蔓延してしまうのは間違いがない。


 人間の、生物学的時計の進み方には、大きな個人差がある。
 これは精神的な意味だけではなく、肉体的な加齢においても同様である。
 過去記事:人はなぜ老いるのか

 
 「天才たちの私生活」は誰もが名前を知る世界の偉人たちの一生を、三十代〜七十代までの十年おきの世代別に分析した珍しい著書だ。

 その内訳は、ドストエフスキー、ゲーテ、カフカといった文豪、ピカソ、ミケランジェロ、ゴヤといった画家、シュリーマン、ガリレイやエジソンといった研究者、モーツァルト、ワーグナーといった音楽家、マルクス、ルター、ショーペンハウエルなどの思想家、フリードリヒ大王やエカテリーナ二世など多岐に渡る。

 本書のテーマのひとつは、それぞれの偉人の人の人生のピークはいつであるのか?というものである。
 これらを見ると、音楽家だけは唯一、年齢が比較的若いうちに人生のピークが来る傾向が見受けられるが、その他の「職業」の人々が、驚くほど高齢でも活躍をしていたことが分かる。
 特筆すべきなのは画家達で、ピカソは91歳で死亡するまで、ミケランジェロ、ゴヤ、ココーシュカなどは90歳代にしてまだ壮健であったのだ。


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 先進国においては、学問を修めるまでの期間の延長やその他の理由から、一般に社会に出る年齢が遅くなる一方である。
 ところがそれと反比例するように、「創造性には年齢の若さ」が重要であるという議論が多く見られるようになった。
 過去記事:未熟なオトナと不遜なコドモ
 
 これは恐らく、創造性そのものでなく、作り手の「タレント性」を含めた「新鮮さ」が社会で価値をもっているせいではないかと思われる。
 こうした「価値観」のターゲットは、女性だけではなく、男性にまで及んでいる。
 男性においては、いつの時代にも「落ち着き」、つまり加齢は、社会的な価値を高める方法であったのだ。
 ところが、もはや性別をとわず、「年齢」というものが意味を成さなくなりつつある。
 「年功序列」だけが意味を成す社会というのも相当問題だが、だからといってその逆にすれば良いというものでもないだろう。
 このような時代は、恐らくかつてなかったのではないのだろうか。
 
  恐らくこれは、より商業主義的に何らかの作品を売り込むためには、作品そのものだけではなく、作り手の「顔」が見えなくてはならないという側面に依存するのだろう。
 これはターゲットとする市場である20代から30代くらいの世代への「共感性」に配慮した結果なのであろう。

 「何が語られているか」よりも「誰が語っているか」かが、現代においてはより重要な価値をもつのかもしれない。
 ところが、「タレント性」に依存した文化は、飽きられ消費されるのも早い。
 もうそろそろ、作品そのもの、つまり「何が語られているか」ということが重視される時代が戻ってきても良いのではないかと個人的には思わざろう得ない。
 
 こうしたことは、芸術活動などよりもむしろ、ビジネスの世界で顕著であるのが興味深いところだ。
 現代では、ビジネス、つまり会社組織のようなものもひとつのイメージからなる「作品」であり、多くの人の共感を得なければならない存在であることを考えると、これは当然の帰結であろう。

 しかし、もはや受け手の側の方が、こうしたシステム全体の「中身のなさ」にうんざりしているというのが、実情なのではないかと感じるのだ。
 売り物となる組織の「顔」の「首のすげかえ」で新味をだそうとする手法には、もううんざりという気がしてしまう。
 空虚な「世代交代ごっこ」はもう沢山である。

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 誰かを消費し続ける社会は、自分も商品として消費されてしまう社会である。
 この仕組みを利用して「時代の寵児」に躍り出ようとした人は、全て世代交代の波に飲まれて淘汰されてしまう。
 自らを市場の「商品」としてではなく、個別的に価値ある存在にしていくという発想の転換がこれからの時代には必要なのであろう。

 「コドモ」であることを利用し続けて世に出た人は、「オトナ」になったとたんに、世の中に居場所がいなくなってしまうのである。
 コドモであればこそ許された振る舞いに依存して、
「うまく世渡りをしていると思い込む」ことは、極めて危険であるのだ。

「年齢」「世代」というのは、元々がイメージの産物である。
 実力なき者が淘汰されてしまうのは、それとは全く別問題であろう。
 年齢が下であるから、「新しいことをやってくれる」と期待するのは、全くの的外れであるような気がしてならない。
 あくまで、中身で勝負して欲しい。

 本当の意味での「実力主義」の世の中は、再びやってくるのだろうか?


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