ライフ・レッスン 
   
           現代人必読の書

 究極的な言い方をすれば、どのような物事でも“死”ということ以外は、復元可能である。

 絶交した友人や別れた恋人に、もしどうしても心残りがあるのなら電話をかけるなりメールをするなり、もう一度だけ仲直りを試みてみれば良い。
 どうしてもあきらめきれない挫折した夢があるのならば、再度チャレンジしてみれば良い。

 無論のこと、この復元可能というのはあくまでも、象徴的な意味合いでのことを語っているに過ぎず、現実の過去の出来事の全ては、もはや取り戻すことが出来ない。


華麗なるギャツビーの主人公である富豪ジェイのように−あらゆる富と贅沢を手にしているにも関わらず、人生の目的が「失った恋人デイジーを取り戻すこと」になってしまった−というようなことを推奨するわけではない。
 恐らく、過剰な執着というのは人生を停滞させることしかしないからだ。

 単に、私の言いたいことは、あらゆる物事は「死」という現象以外は決して期待値が「ゼロ」にならないという意味だ。

 ところで、人間は、この「究極的に受け入れがたい存在」である死をどのように受け入れれば良いのだろうか。
 
 人々がムラ的社会で生きていた頃には、誕生や死は、日常生活と共存しており、こうしたことによる喜びと悲しみを日常的に経験していた。したがって、幼い頃からこうしたことに関するいわば「身体感覚」を身に付けていたということは想像に難くない。
 少なくとも「死」がこの世の現実として存在することを疑う人はいなかったであろう。

 しかし、他の多くの「自然現象」同様、私達にとってはもはや「死」というものは「学習しなければならないもの」になってしまっている。


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 核家族化した世界に生きる現代の多くの人々にとって、「死」とはどこか遠い国の物語である。

 多くの人にとって、病や死というのは、自分もしくは身近な「最も大切な誰か」に降りかかって始めてその存在を認識する存在になっているのだ。
 
 そうした事態に陥ったときに生じる一種の心の真空地帯と、それに引き続く嵐のような怒りと拒絶をどのように受け止めるか?という命題を扱ったのが、本書の著者であるエリザベス・キューブラー・ロス博士の不朽の名著
死ぬ瞬間―死とその過程についてである。
 
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 とにもかくにも病と死に直面した時、人は社会の現象に揺れ動く存在から、より個別的な内省的な存在に変貌することを要求される
 「私」という存在の中から、厚い衣である肩書きや地位、学歴、富といったあらゆる価値を脱ぎ捨て、生まれたてのよりナイーブな魂に直面することを要求される。

 実際のところ、このようなことを剥ぎ取られることを求めない人もいるし、喜んで魂を裸にすることを受け入れる人もいる。その違いが生じる理由は、「持ち物」の多寡とは全く関係ない。
 富める人でも喜んで外面的なものを捨て去ることが出来る場合もあれば、数少ない”持ち物”にあくまで執着する人もある。
 こうしたことは恐らく、その人が生涯を通して気付いてきた、自らへの揺るぎない自信の有無が最も関係するのであろう。
 雨の日も風の日も、晴れの日のように自分の核となるものを失わない人だけが、そうした自分を手に入れることが出来るのかもしれない。

 そうしたことに向けての準備を従来担ってきたのが、「宗教」である。
 宗教の本質は、より良く生きるということよりも、むしろより良い死を迎えることを手助けすることにさえあるといえるのかもしれない。

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 本書「ライフ・レッスン」は、生涯を終末期医療、すなわち病の受容を手助けすることに捧げたロス博士が、自らが病に倒れ死を迎える過程を綴った「最後の著書」である。
 「死ぬ瞬間」が研究者としてのロス博士の死に関する「ロジック」の集大成であるとすれば、「ライフ・レッスン」は、ひとりの人間としての彼女の死生観の全てである。
 そのため、全体が、印象派の絵画のように仕上がりの本である。
 もはや「論理」はぼかされており、文章の言葉のひとつひとつに散りばめられている。
 本書においては、論理がないのではなく、論理が細かく砕かれてそこかしこに存在するのである。

 この書籍に関しては、もはや何の注釈も不要であるし、私にその資格があるとは思えない。
 そこで下記に、本書の中から、幾つかの言葉を引用して紹介させていただくに留めておくことにする。

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“われわれのほとんどは、人生が喪失であり、喪失が人生であることを理解せずに、喪失に抵抗し、それと格闘しようとする”


“なぜ、あしたのほうがきょうよりも幸福や力を手にする可能性が高いようにおもえるのだろうか?それは、「もっと」というゲームのなかで自己をあざむき、自分の力を失っているからだ”

“たえまない心配や消耗的なたたかいが、よろこばしい人間関係や創造性を破壊し、幸福や満足を遠ざけている。”

“闘争が恐怖心を生みだし、恐怖心が「たえず、すべてをコントロールしていなければならない」という誤った信念を生み出している”

“死のまぎわにかぎらず、どんなときでも、人は自分を明け渡すことによって、かぎりない平和をみいだすことができる。”

“なんでも自分のおもうとおりにしたいという人がふえすぎたのだ。私達は謙虚であるということ、だれかの足元にひれ伏すということがどんなことなのかを忘れてしまっている。たとえほんの短時間、ほんの些細なことでさえも、だれかのアイデアや経験を素直にうけとることができなくなっている”

“幸福は人間の自然の状態なのに、わたしたちは幸福になる方法を忘れている。ものごとがこうあるべきだという観念の中で道に迷っているからだ”

“真の幸福はできごとの結果ではなく、状況にも左右されない。幸福になるかどうかは、周囲でおこっていることがきめるのではなく、あなたがきめることなのだ”

“幸福になるか不幸になるかは、周囲でおこることによって左右されるのではなく、おこることにどう対処するかによって左右される。おこっていることをどう解釈し、どう了解し、こころにどうとりこむかが、その人の幸福を決定するのだ”

“過ちを犯してもなお成長しつづける善人は評価できるが、高慢になった善人は幸福になれない”


“ことばで説明するのがきわめてむずかしい愛こそが、人生という経験のなかでただひとつの真実であり、永続するただひとつのものである”

“愛は知識、教育、権力とはなんのかかわりもない。愛は行動をこえるものであり、人生においてただひとつの、失われることのない天与のものである”

“最初から最後まで、人生は学校であり、ひとりひとりに、その人に必要な試験が課せられている。学ぶべきかぎりのことを学びとり、教えられるかぎりのことを教えきったとき、わたしたちはほんとうの家に帰ることが出来る”




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