やりなおすチャンスがあるなら、朝のコーヒーは外で飲むことにしよう。昼になったら帰ってきて、木陰に広げた敷物の上で妻とランチをとろう。
(アン・パチェット著“ベル・カント”より引用)


アピタイザー
 
 休日は、時間に追われるのがあまり好きではありません。
 せっかくの「貴重な時間」を無駄にしたくないという意見は分からないのでもないのです。
 
 しかし、せっかくの休日ですから、盛大に無駄な時間を遣いたいというのが私の考えです。
 大体に旅行に行くにしろ、行きと帰りの飛行機くらいしか決めないのが理想的だと思っているくらいなので、いわんをや、近所で過ごす休日です。
 何だか、本質的に怠惰でのんびりやの性格に対する「いいわけ」めいて聞こえないでもないですが…。

 とにかく、行き当たりばったりに過ごすのがわりに好きなのです。
 その際、予定外の出来事が起こったり、場合によっては「邪魔」が入るのも一興というものです。
 旅行の想い出など、むしろそうしたアクシデントの方が、長いこと笑いの種として記憶にとどまるというものなのかもしれません。


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スープ

 今朝は、いつもの休日の朝とは異なり、珍しくそれほど寝坊もせず、普通と同じ時間に目が覚めました。
 遠足を楽しみにしている子供と同じ状態です。
 起床後すぐ、一時間ほど、やむにやまれぬ事情で学ばなくてはいけない勉強をしましたが、その後は一切今日の予定を決めないことにしました。

 近所の住宅街にあるイタリアン・レストランでゆっくり昼食をとり、その後、ガーデニング・ショップにいって、花を買って来て庭に植えました。
 とりあえず、前から、ずっとやろうと思っていたことですがやっと実現しました。

パスタ

 夜は戸外に椅子を出して、久しぶりにキャンドルを灯しました。
 そして、薄明かりの中、その花を眺めながら、ゆっくり紅茶を飲みながら読書をしました。
 久しぶりに、とても静かな一日でした。


 メインディッシュ

 むしろ、「時間を上手に遣う」という発想自体に、少々疑問をもっている私です。
 人間は、夢中になれることがある時は、無意識のうちに全てがうまく運びます。
 当たり前ですが、勿論、誰もが、いつもそうした理想的な状態にあるわけではありません。むしろ、私達の一生は、そうなれない時期をどのようにやり過ごすかがが「鍵」となっているとさえ言えるのかもしれません。
 
 それに、現代社会においては、現実問題として物理的に24時間におさまるわけのない仕事を抱えている人は多いことでしょう。

 デザート

 「時間の遣い方、生活の仕方を改善しなければ。」と常に意識している状況の時は、恐らく、何らかの形で自分のモチベーションが低下していたり、どこか焦燥感にとらわれていることが多いものです。

 恐らく、時間の遣い方を工夫する前に、その点を何とかしなくてはならないのでしょう。
 しかし、人間は往々にして、あまりにも本質的な問題に目を向けることを好まないものなのだと思います。

 しかも、その本質的な命題が、「絶対に解決しない命題」である場合、私達は、どこか別の部分に救いを求めるしかなくなってしまうのです。

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 その際に起こる発想としては、「うまくやれない自分」を責める自罰的な考えか、「誰かのせいでこうなっている」という他罰的な考えです。
 根源的にはどちらのパターンになるのかは、気質の部分が大きいのかもしれません。
 しかし、潜在的に「自分に深いコンプレックスを抱いている」人ほど、むしろ他罰的な傾向が見られるような気がするのは気のせいでしょうか。

「休めない」
「私が休むわけにはいけない」
という発想は、かなり危険な兆候です。
 この発想は、「私以外の人が無能であるから私がこんなに忙しい」という極めて危険な考えに結びつきがちです。
 自分ひとりがいなくても、基本的に社会生活はまわっていくというくらいの冷静さを持ちたいものです。
 これは何も、「私」や「あなた」が重要人物ではないという意味ではありません。
 自分を追い詰めることの危険性について、語りたいだけです。


 
  
 もし、「誰かのせいで忙しくなっている」
と考え出したら、何らかの形で、即、休養をとった方がいいのかもしれません。
 それは、自分自身が追い詰められているサインなのかもしれません。
 
 何かがうまくいかないとき、特定の個人をターゲットにして、
「何もかもがその人のせいだ」と考えることは、表面的には、少しだけ気分を救うのかもしれません。
 しかし、自分で自分にプレッシャーをかけやすく、かつ他罰的な傾向が見受けられるというのは、どう考えても心の赤信号だと思います。
 誰かの悪口を言わずにはいられない状況の時、まず第一に、自分を見つめ直した方がいいのかもしれません。
 
  
 私がこんなことを考えている理由としては、身近な「超優秀」で仕事が出来る方の殆どが、どのように忙しくてもそこだけ、ゆったりとした空気が流れているような精神的な余裕を漂わせていることに気付いたせいもあるかもしれません。
 「暖かい心」がその方のまわりだけに、あふれ出しているような方というのは確かにいらしゃるものです。
 つまりは、誰もがその方の回りにいたくなるような方です。

 勿論、「大人の世界のいじめ」
モラル・ハラスメントを受けている状況にある場合もあります。
  
 謙虚な人、つまり何もかも自分のせいだと考えがちな自分を責めがちな傾向人ほど、確かに邪悪な心を持った人のいじめのターゲットになりやすい傾向があり、それは大変、不幸なことであるのは間違いがありません。
 そうした状況では、毅然として立ち向かう「権利」があると思います。
 いじめられている側が、「私に非があるから…」などと卑屈な気持ちを抱く必要はないのです。

 ともかく、どんな人であれ、いつでも精神的にニュートラルな状況を保つことができるわけはありません。
 むしろ、悩みをもつことを恥じて抑圧してしまうこと自体が最大の問題だという気がします。
 「暖かさ」を漂わせている方というのは、殆どが、数々の苦しみをくぐりぬけた結果、強さを内側に秘めている方々ですので、私達が一朝一夕にそれを真似ることは、ほぼ不可能なのです。
 静けさは、結局は、苦しみの後にやってくるということなのです。

 「家族」や「友人」といった、いつもは忘れがちな人々が、最終的には、自分にとって、もっとも大切な人であるということを、人は究極の状況で思い出します。
 静かで堅実な生活を送っている人は、自分を追い込まなくても、自然な形で時間を上手に遣っています。恐らく、自分にとって何が大切で何が大切でないかという本質を捉えていらっしゃるのでしょう。
 

七十年の生涯において、祖父は職業をもったことは一度もなかった。(“リトル・トリー”より引用)

 職業と生活が混然一体化した、ネイティブ・アメリカンのリトル・トリーの祖父たちのような静かな世界にはもう戻れないかもしれません。
 しかし、何のために生きているのかだけは、決して忘れたくないものです。


リトル・トリー


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