待ち暮らし

         ある家族の物語 

 姉貴は二十年以上も孔の家の人らと一緒に暮らして、口をきかねえ馬か牛みたいに尽くしてきました。(待ち暮らし より引用)

 「愛情」と「家族」というのは、多くの人にとっては、殆ど同義語に近い。

 しかし、ここに、それらが一致しなかった男性の一つの人生がある

 1963年の中国のとある農村。
 軍医の孔林(クォン・リン)は親の勧めるままに、写真を眺めただけで淑玉(シユユイ)との結婚を決めた。

 ところが、写真では十人並みの器量だと思っていたシュユイは、実際に会ってみると、リンより一つ年下であるのにひどく老け込でおり醜くかった。
 しかも、当時の中国では既に廃れていた纏足をしており、リンにはシュユイがまるで老婆のように感じられた。
 リンは、そのシユユイの容貌を嫌い、自分の人生を呪うようになる。

 リンは両親に文句を言うが、彼らは
「これほどいい嫁になりそうな娘はいない。容貌などすぐに気にならなくなる。」
 という意味のことを言い、リンの抗議を受け入れようとはしない。

 ここに、彼らの全く愛情のない結婚生活が始まった。


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 そして、リンは「このようなみっともない女を職場の同僚に見せるわけにいかない」と恥じ、妻を農村に残し、自分は都会にある軍の病院で単身生活を送ることにする。

 シュユイはそうしたリンの冷たい態度を気にすることもなく、娘の華(ホア)を産み育て、農村でリンの両親の世話や介護に明け暮れるのだった。

 リンは、そういうシュユイの全存在を「愚かな女」として忌み嫌い、「まともな愛情に満ちた結婚生活」に無縁の自分の人生を嘆くのであった。

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 そのうちに、リンは病院に勤める看護職の女性マンナと親しくなる。親しいといっても、今日の日本で蔓延している風潮のような親しさとは少々異なる。
 お互いに心ひかれ、個人的な会話をする頻度が増えていったという程度だ。 それ以上の関係に進展することは、軍の規律を破ることを意味し、当時の中国においては、それぞれの地位の破滅を意味する
 
 そうした中で、リンとマンナは双方とも、リンが妻と離婚して結婚することを夢見るようになる。
 リンは、毎年の休暇のたびに、村の地元の裁判所に離婚の申し立てをするようになる。晴れてマンナと結婚するためだ。
 ところが、妻のシュユイは、普段は一旦離婚を受け入れるのだが、裁判所に足を運ぶと、離婚を承知する発言をしてくれないのだ。


 彼がシュユイを嫌う最大の理由は「妻が醜く、人前に出すことが出来ない」という一点に絞られ、村の労働者としての妻の働きには特に不満はない。
 従って二人の離婚を誰もが認めるような、客観的な理由はないと見なされ、離婚はいつまでも成立しないのであった。
 二人は、離婚のために出向いた裁判所の帰り道に、娘のホアにピンクのリボンを仲良く買って帰ったりといった、どこかのどかな時間を過ごすようになりさえする。

 もはや離婚裁判は夫妻の日常の中の風物詩のようなイベントにさえなっていくのであった。

 そうした一見平和だが、膠着した状態の中、リンは”恋人”のマンナに責められ、親族に責められる。そしてますます、妻のシュユイと彼女に結び付けられてしまった自分の運命を恨むのであった。
 
 ところが、当時の中国には、「18年の別居をしたものは、例え有責配偶者からであっても離婚を認める」という法律があった。
 リンとマンナの二人は、プラトニックな恋愛関係を続けながら、ひたすらその日を心待ちにするようになるのであった。

 そして待ちに待った18年が経ち、1980年代半ばになった。
 40代になったリンとマンナの恋人同士は、念願のリンの離婚の日を迎え、めでたく結ばれることになる。
 ところが、あまりにも長く待ちすぎた歳月は、予想だにしながった結末を二人にもたらすことになる。

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 本書は、全体的に極めて抑制の効いた筆致で上記のストーリーが進行する。

 ストーリーだけを追うと、一見恋愛小説のようだが、実のところは異なる。 「自らの人生を選び取ることが出来なかった」という不全感をかかえた一人の男性が、その運命に逆らうでもなく、ただ日常が流れるままにまかせ、漂うような人生を生きる物語である。

 リンは、「知的な読書家」の医師であり、温厚な性格で人々の尊敬を集めてさえいた。

 しかし、彼は、妻や娘、自分の家族、そして恋人のマンナの誰とも、深く気持ちをコミットさせることをしない。
 人生に対する意志が、日常の瑣末なことや、社会の制度にからめとられて切り刻まれてしまったかのようである。
 これは、ある意味では、多くの人の人生に似通っている。
「与えられた日常をどう生きるか」
というのは、多くの人にとって、人生の中心課題であるからだ。

 妻の人生同様、マンナの人生に対しても「深入りしないように」と身構え続けながら、リンは生きる。
 そして、「運命が自分の代わりに何かを決断したとき」のみにそれを受け入れようとするのが、彼の生き方なのである。

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 従って、本書は、どこまで読んでも、リンとマンナが「愛し合う」その理由が分からないままに、物語が進行する。
 愛し合うことには、本来、理由などない。
 しかし、そうした意味合いとは少々異なる不透明感が、物語全体にあふれているのがこの小説の特徴だ。
 人によっては、途中で少々、息苦しさや荒涼とした虚無感を覚えるかもしれない。

 「親の希望のせいで僕の人生がめちゃくちゃになった」と嘆くリンにとって、マンナもまた、「絶対に彼女でなければいけない」という存在ではない。どちらかというと、逃れられない運命から抜け出すための希望をもつための、象徴的存在に過ぎない。


 「愛情」という前提が、「家庭の営み」にとって重要でなかった時代にリンは生きた。
 そして、西洋的な近代思想を理解していた彼にとっては、「愛情」が「家庭」を築く上で、最も大切であるように思えていた。
 彼の人生は、そのために引き裂かれてしまったわけである。
 
 ところが、彼にとっては「愛情」というものも、また一つのイデオロギーに過ぎなかったのかもしれない。
 彼のマンナに対する愛情は、身体性や日常といったものとは無縁の、一種の幻想であるようにも見受けられる。


 まるで会社組織のような、「適切な運営」が可能かどうかを重視する東洋的な(もしくは封建的な)家族観と、個人の愛情をベースにするべきだという西洋的な(もしくは近代的な)家族観のどちらが正しいのかという議論に対する答えは、本書を読んだからといってすぐに導き出されるわけではない。
 
 リンの人生は一見平和で、幸福な状態に似通っているが、鏡に映った世界のようにどこかが狂っている。
 
 個人の愛情がない「家庭」という組織は現代の社会では、あり得ないものとされている。
 それでは、人間が相互に「愛情を感じる」ということは、どのようなことであろうか。
 
 ある意味、「幸福」のゆがんだ鏡像のようなこの物語を通じて、それを考えてみるのも悪くはないと思う。


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