目の前に横たわる世界は、正確には一瞬といえども同じものではない。

 したがって、知覚されたできごとに応答して生まれる行動も、
 もし生物が正常に機能しているならば同じではありえず、
 また同じであってはならない。

 行動が異常になったときにのみ、
 生物はつねに変化しつつある自分をとりまく環境を考えに入れずに
 繰り返しのパターンをとるようになるのだ。

 このような事態に出会ったとき、私達はこれをステレオタイプと呼び、
 この行動を異常だと認める  
             (人と話すサル「カンジ」より 引用)



一球入魂というか、この道一筋というか、
「ある意味」
ひとつのことをやり遂げることの出来る能力はやはり素晴らしい。

ものづくりの国であった
(そして今も実のところはそうである)この国に生きる上で、
ピンポイントな事柄を深く掘り下げ一生を通じて完成させる力は、尊敬され珍重されてきた。

私は何もそのことを否定するつもりはない。

昔から私はある意味「職人気質」な人生を尊敬してきたし、
そうした生き方をしている人に強いシンパシーを感じる。
現代社会には、こうした生き方を馬鹿げたこととして軽視する傾向があるが、
それはやはりどこか間違っていると思う。

しかし、そうした良い意味での「創造性」につながるような
「持続力」
「継続力」
と違って、
「とりあえず、以前のやり方を踏襲して同じことを繰り返しておけば間違いがないだろう」
という生き方となると、少々事情が異なる。


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変化の少ない時代には、とりあえず前例を踏襲し、
まわりと歩調を合わせて「人と同じような生き方」を選択しておけば、
大きな間違いのない人生を送ることが出来た。

ところが、現代のような変化の大きい時代には、
何も考えずに「慣性の法則」に従って過去と同じやり方を反復するようなやり方は
もはや通用しない。


しかし不思議なことに、こうした不透明な時代になると、
むしろ、それに対する不安から、
執拗に「今までのやり方」を引きずってしまいがちなのが人間というものなのである。

つまりは、ある種の思考停止の状態である。

これは言い換えると、
「新しいことを始める不安」
に打ち勝つ心の強さがない状況であるとも言える。

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周囲の状況の変化を無視し、可塑性がない考え方に基づいた、
成功の見込みがないやり方であっても、
「以前と同じ」
でありさえすれば、
「きっと何とかなるだろう」
と思ってしまうのが人間なのであろう。

冒頭に挙げた人と話すサル「カンジ」の言葉を引用するまでもなく、
人間はただのひと時も、同じ存在ではいられない。

思考、感情、全てが変化し続けている存在である。

実のところは、粘り強くひとつのことをやり続ける能力というのは、
これらの微細な変化を受け入れ、自己のマイナーチェンジを繰り返し、
「自分に飽きない」
能力に長けているかどうかが決め手になるのかもしれない。

つまり、たゆまぬ努力、変わらぬ興味を抱き続け、
一見表面的には同じペースを保ち続けられる持久力のある人こそ、
本当のところでは内部では「変化し続けている」のかもしれないのだ。

人と話すサル「カンジ」


 人間と類人猿を隔てる「大きな差異」であるとされた言語。
 その言語とはそもそも何か?
 言語=知能もしくは言語=感情であるのか?
 そうした人間の知性の根源に関わる問題を、
 類人猿の言語獲得というテーマを通して浮き彫りにさせてみせる名著です。
 ボノボの性行動といった、霊長類全体の行動学的な記述も多く、
 非常に興味深い一冊です。


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