ここ何年か、○○病の△△遺伝子発見!などのニュースが新聞紙面やインターネットの画面におどることが増えた。

 この分野に関係の全く関係のない世界で生きている方の中には、遺伝子が発見されたということは、すなわちその病気の原因が100%解明されたということだと思っている方もいるようだ。
 本当のところは、○○病の遺伝子が見つかったというニュースは、必ずしも病因が解明されたということを意味しない。

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実際のところ、その新しく発見された遺伝子が
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 ⇒淦遺伝子なのか誘発遺伝子なのか。
 0篥岨劼琉枉錣変異なのか、過剰なのか
 ぐ篥膳措亜Г修發修發修亮栖擬体がメンデルの法則に従う、
  単一のファクターによる遺伝形式もしくは多因子遺伝なのか
 ヂ唇子遺伝だとすれば後天的な要因がどれくらいの割合であるのか
 単一の遺伝子による疾患の場合は、
  それがその病気を起こす唯一の遺伝子であるのか
  臨床上たとえ病名が同じで症状が同じでも、
  原因となる単一の遺伝子が、複数存在する場合がある
 ┐修琉篥岨劼偶然にその病気の患者さんに
  存在しているのではないという証明。

 など様々な要素により、その遺伝子がどのくらいの意味で病因論に迫れているかが異なる。

 確かに、私たちの体は頭のてっぺんからつま先まで、遺伝子が支配して合成されている。だからといって、私達のからだの全てが遺伝子によってコントロールされているわけではない。逆は真なりとは言えないのだ。

 ウイルス感染症などの病気においてそのウイルスの遺伝子を抑制することにより病気を治療する、単一の遺伝子が原因の病気でその遺伝子をターゲットにする、などの遺伝子治療が研究段階を超えて広く一般化する時代はすぐそこまで来ているのかもしれない。

 しかし、内因性の複合的要因による病気(つまり殆どの病気)が、夢のような遺伝子治療で一回で予防・治療できるためには、多くのステップを経なければならないと思う。そういった意味での遺伝子治療が可能になる日は、来るかもしれないし来ないかもしれない。恐らく、それは私達の生きている間ではないかもしれないのだ。

 遺伝子に限らず、最新の知識はとかく、どれくらい役にたつか?というレベルを専門外の人間が推し量ることは困難である。つまり、△△遺伝子が、その○○病に対してどれほどの意味があるのかは、簡単でも良いから、遺伝子の知識をある程度持っている人以外は判断不能であるのだ。
 まずそのことをを知らないと、知識を正確に活用することが出来ない。
 最新の知見の軽重を見極めるようになるためには、その根本的なセオリーを知らないといけないのだ。

 とかく病気と遺伝の関係は都合よく利用されたり曲解されたりしているような気がしてならない。

 本人の努力不足で病気を起こしているのに「遺伝子」を言い訳にして治療への努力をなまったり、逆に本人に何の責任もないのに「遺伝子」のせいで病気になっている人の人間性を否定したり、偶発的な遺伝子の傷によっておこる孤発例の「遺伝子疾患」も多いに関わらず、「遺伝によっておこる病気」を全て「家系」と結びつけて病気の方とそのご家族にに対する差別を行なったり、極端な例ではまったく「遺伝」とは関係がないのに、凄惨な症状を起こしている病気は全て「遺伝」のせいにして社会から排除しようとしたりといった事柄が現実に起こっている。

 すぐに明快な答えを欲しがる人ほど何故か失敗するのは、基本となる知識の取得とそれを活用する方法に時間をかけないことに原因がある。私たちは、全てを解決する、夢のような単純な真理をいつも求めている。だからこそ「分かりやすさ」に飛びついてしまうのだろう。その心理を利用して、「商売」のタネにしている人もたくさんいる。

 多くの誤解は、その物事に対する知識の欠如から起こる。
 感情面の行き違いですら、相手やその物事に関する正しい理解の不足がベースになっている場合が多いのだ。

 しかし、あえて言うなら、正しい知識を得て物事を正確に理解しようとすること自体が人間的センスの問題なのかもしれないが…。
 そういうセンスが身についている人は、大体において人の話を真剣に聞くのでどのような専門外のことでも話せば分かってくれるし、自分が得た情報を自分の目で見極める力もある。更に、自分が知っていることと知らないことの違いもちゃんと分かっている。
 
 つまり、最終的には知識の有無とそれを活用する能力は、人間性そのものなのかもしれない。結局は、正しい経路で物事を考え組み立てる力をつけておけば、後付けの知識はさほど問題はないということなのかもしれない。
 逆にそうしたセンスが身に付いていないと、どんなに猛勉強しても空回りになるばかりである。

 
 確かにひとつひとつの科学的事実そのものは、エポックメイキングなものであればあるほど、とてもシンプルな説明が可能だ。
 基本的な事項に関しては、くどくどと説明しなければならないようなことは、大体「大発見」ではなく「小発見」だ。
 
 しかし、病気に限らず、この世の現象そのものは、それらのひとつひとつは単純のはずの事実が複雑に組み合わさって起っている。
 
 その結果生ずる私たちの生きる現実の世界は、必ずしもシンプルとは限らないのだ。

 最も大切なことは、ある明快な理論が見つかったとき、事実を規定する他の未知のファクターがないかどうかを疑ってかかり、それを探求することである。
 私たちの多くは、科学が進歩すればするほど、我慢しなくても、どんな物事にもただちに明快な答えが得られると信じている。
しかし、そういう時代は永遠に来そうにないと私は個人的に考えている。



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